| 旅データ |
| 旅行日程 |
2001.7/21〜7/28(7泊8日) |
| 必要経費 |
7泊8日: |
| 追加経費 |
有料レストランでの食事代(スタッフ分も含む)
有料施設での宿泊代(ツーリストゲルなどスタッフ分も含む)
追加ガソリン代(バイク、サポートカー)
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| 宿泊先 |
テントキャンプ、ホテル、ツーリストゲルなど |
| アクセス |
成田/ウランバートル:往復 |
| 参加人員 |
2名 |
| サポート |
ハーフサポート |
| 旅日記 |
7月21日(土) |
2001年7月21日、モンゴルの大地に立つ。友人の青木浩二(49歳)、私(51歳)合わせて100歳コンビでレンタルバイクを借り、ちょっとした冒険気分でチンギスハーン生誕の地ダダルを目指すつもりだ。
ウランバートル空港で現地旅行会社の出迎えを受け早々にガレージへ。今回、ガイドを引き受けてもらったノルジマ(通称ノラ)との再会である。彼女は大学を出たばかりのお嬢さんで私のことをお父さんと呼び、私も彼女を本当の娘のように思って接している。ノラを載せて毎回利用しているフラワーホテルへ向かった。レストランで夕食を取りながら明日からの旅の打ち合わせをする。 |
7月22日(日) |
出発を控えホテル前で待機していると、椎名誠さんが座っていた。早速一緒に写真を撮らせてもらう。私が今回ダダルを目指すことになったのは椎名さんの書いた「草の海(モンゴル奥地の旅)」の影響も大きい。
ガレージでサポートカー・ドライバーのエギ、コックのモギーを紹介される。エギの運転で町に向かいモンゴル通貨、トゥグルクを購入。1ドルが1,093トゥグルク。300ドル交換し300,000トゥグルクを手にする。凄く金持ちになった気分でアルコール類を買い足した。(トゥグルクを使ってのスーパーや市場での買い物。これは結構楽しい。私達は酒中心の買い物だったが。)
ガレージに戻りいよいよ出発。セローに跨り東へ向け市内を走行する。ウランバートルの町外れでノラのお母さんに出会った。娘が変な日本人とモンゴル奥地へ旅に出かけるのが心配で見送りに来ていたらしい。ウランバートルを出て東に50kmほど走った所で峠に差し掛かる。標高1,500m程度の低い丘だ。しかしこの峠はユーラシア大陸の一分水嶺なのである。この峠から西に降った雨はトーラ川となり、ロシアのバイカル湖に向かい、更にエニセイ川を通じて北極海へ注ぎ込む。東に降る雨はヘルレン川、オノン川に流れアムール川となり間宮海峡へ。海まで何千キロもかかる大陸の川の流れは緩やかだ。
エルデネの手前でグアンッツ(食堂)に入り昼食を取る。スーテーツァイ(ミルク茶)ボーズ(肉まん)野菜スープで腹ごしらえをした後、エルデネを後にする。そして10km程度走ると舗装路は消えてしまった。
120kmしか走っていないがバガノールで給油。ほとんどの町にガソリンスタンドがあるが品切れの場合もあり、町から町までは100km以上も離れていることも有るので早めの給油を心掛けなければならない。モンゴルではガソリンは手に入り安いがサポートカー用の軽油は地方には置いてないスタンドが有り、一度は民家で売っている軽油を買入することになった。違法か? |
7月23日(月) |
2日目はジャガルトハーンより東に向かう幹線道路を離れ北東に針路を変え、比較的フラットな道を飛ばす。次第にサポートカーを待つ時間が長くなる。日本人に一番DNAが似通っていてそっくりな民族、ブリアート族が住むビンデルの町で道を尋ねるがダダルへ直線的に行くには町外れの流量の多いオノン川を渡らなければいけないとのこと。橋のある正規の道は大きく迂回していかなければならないという話し。「どちらにしますか?川渡りをするなら手伝いますよ。」と言われ川渡りを選ぶ。ロシア製四輪駆動車にトレーラーを付けバイクを載せて渡してくれた。感謝、感謝。川を渡り岸辺にテントを張る。 |
7月24日(火) |
3日目、早朝ルアー・フィッシングにトライ。全く期待をしていなかったが人を疑うことを知らない32cmの鱒(イトウ?)が釣れてしまった。早速、塩焼きで朝食の食卓へ。
今日はいよいよこの旅の目的地、ダダルへ向かう日だ。しばらく森林(シベリア・タイガの南限)の中を走り続けると長年の目的であった"聖地"に到着。一目散でゲートを通り抜け遂にチンギスハーン生誕の地を示す大きな石碑に到着。セローの積算距離計は580km。観光地であるはずだが他に観光客はいない。子供達が石碑に上がり遊んでいるだけだ。3人のモンゴル人もダダルは初めなので5人で普通の観光客になり記念写真を撮る。
近くの丘に上がりオボーを3回廻った後、石を積み、旅の安全を祈る。生誕の地としては史実も無くあっけない物だが今回の旅の目的は達成。丘の上より馬(セロー)に跨り我こそはチンギスハーンと西方に向け駆け下りる。帰りは幹線道路を南へ。
途中で昼食を取っていると心配していた雨が降り始めた。大急ぎで片付け、雨の中を走り出す。夏の草原では雨に遭うことが多いが直ぐに上がってしまう。しかしこの雨は止んでくれない。道もヌタヌタになり真っ直ぐに前に走れない。仕方なく雨の中、テントを張り食事をしながらアルヒを飲みチンギスハーンに祈りを捧げる。 |
7月25日(水) |
4日目、やっと雨が上がった。吸い込まれそうなモンゴリアン・ブルーの空、そして雨で洗われた草原は緑に輝いている。ベルフの町で給油し、水場を訪ねるとガソリン・スタンドのおばさんが「汲み置きの水を持って行け。」と優しいことを言ってくれた。その上スーテーツァイや自家製パンをご馳走してくれたので、「写真を撮らせて欲しい。」と頼むとデール(民族衣装)に着替えてきた。
オンドルハーンの町で道を訊ねていたら「近くの村でナーダム(子供競馬、モンゴル相撲などがある祭り)がある。」と聞いたのでそちらに向かう。ナーダム会場に着いた時は競馬がゴールする瞬間だった。小さな村だと聞いていたが大勢の人がゴール付近を埋め尽くしている。異様な格好をした私たちを見てなんだかんだだと話し掛けてくる人も居た。
幹線道路から南に外れたがこのままに西へ向かい、ゴールに向かう馬とすれ違いながら地平線を目指して走り続け、とてつもなく広い大平原のど真ん中でキャンプになる。
全てを茜色に染めて地平線に沈む夕陽を見ながらのささやかな宴会は満点の星空になっても続く。 |
7月26日(木) |
5日目、朝食の後、まっ平で遮蔽物なしの草原をモンゴル人の優秀な目から逃れるためトイレットぺーパーを持ちセローは走る。どこまでもどこまでも。
今日もGPSを睨みながら心細い轍を追って西へ。逃げ惑う砂ネズミを蹴散らしながらひたすらアクセルを開ける。強い日差しの中でヘルレン川の流れが見えた時は何故かほっとする。緑が濃くなり針路を北西に取り、エルデネ村近くの丘の上で最後のキャンプ。 |
7月27日(金) |
6日目はラストラン。キャンプ地を出ると直ぐに幹線道路に出る。エルデネを抜け観光地のテレルジへ。道も舗装路になったのでエギに前を走らすがアクセル全開でもついていけないくらいにかっとんで行く。テレルジは川と奇岩と森林が草原の中にある美しいところでウランバートルから近いので観光客も多い。エギの13歳のお嬢さんも林間学校に来ているとのことで早速会いに行く。エギが急いだ分けはこれだったのか。親子の一週間振りの再会。抱擁してキスするのを見てモンゴルはヨーロッパ文化圏の国だと感じた。
午後3時ウランバートル到着。全走行距離1,360km。買い物をしながら町を見学した後、レストランで乾杯。ホテルに帰り日本式の大浴場で汗と埃を流しながら旅を振り返る。この瞬間、やはり日本人だと感じる。 |