カオルさん|3月の旅|遊牧民の家庭滞在

カオルさん=ママ=筆者

ゴウくん9歳=兄

アカネちゃん8歳=妹

バヤサさん=通訳

運転手さん

はじめに

モンゴルへ行ったのに、実は、たいした理由はなかった。
今まで旅した国は、それなりに私の興味の対象であったり、勉強を伴うものであったり、常日頃から行きたいと願いつづけ、念願かなって行ったところばかり。
しかし、モンゴルに関しては、今まで特に思い入れる要素もなかった。
ただ、どうせ旅をするのならば、普段絶対に味わえないことをできるところにしたかった。
我が家では、毎週家族で楽しみに見ている「ウルルン滞在記」というテレビ番組があるのだけれど、その番組の旅はまさに私たちのめざすところ、現地の暮らしを感じられる旅。
私たちもそんな旅をしたい!
「春休みは、何年かぶりに海外へ旅に出たいなぁ~」
2月のある日、私はポケ~ッとパソコンの前に座り、インターネットで旅行会社のホームページを次から次へと検索していた。
たどりついたのが、クルーズ・インターナショナルさんのホームページ。
数年前に念願だった自動二輪の免許を取った私が、海外へバイクで行けないものかと探していたときに見つけた旅行会社だ。今回はバイクは無理だろうけどね、なぁんて思いながらも、なんとなく眺めていると、目に飛び込んできたのが「モンゴル ゲルホームステイ」の文字。
ピンポーン! 
これだ!!
子供も連れていけて、なにかとびきりの体験ができそうな旅先は!
すごいぞ、遊牧民の暮らし体験だ!
「ねぇねぇ、春休みは、モンゴル行こうよ!」
唐突なハハの提案に、子供たちはいつものように、
「いいよ~♪」
「やった!」
と、二つ返事。
こんなことでは驚かない。いつもいつも、ある日突然お出かけが決まるのが9 年も続いていれば、慣れっこにもなる。
それも、ハンパでなく遠いお出かけだったりしてね。パパ抜きというのもめずらしくない。
そうして、私たちのモンゴルへの旅ははじまった。

日陰の水溜りは凍っていました。運転手さんに手を引いてもらって、「スケートだ!」と大はしゃぎ。

この陳列の様子をぜひ見せたかったとバヤサさんは言っていました。なんでも山積み!

モンゴル人が行くマーケットにて、量り売りのお菓子を選ぶアカネ。奥のものが取れないので、運転手さんが抱っこしてくれました。

別のマーケットで、入ったときからずっとこちらを気にしていた少年が、話しかけてきました。「ミニー・ネル・・・」と名前を言いあい、せっかくだから記念写真をパチリ。

バヤサさんがいくつかみつくろって注文してくれたのを、皆で分けて食べました。

牛がいる~!と大興奮。

「ねぇ、ダワニャムさんちは、まだ?」と何度聞いたことでしょうか・・・。

いざ、天幕の生活へ

朝。
朝もやにけむるウランバートルの町並み。
街の景色にぽつんとゲルがひとつ、ふたつ。
ゆるやかな山並みに、朝日が昇る。
建築中の建物、工事用の重機がそこここにある。立派なビルと、おもちゃのような小さいゲルの共存する 不思議な空間を作り出している町。まるで映画のセットのような気すらしてくる。
これが、ウランバートルか。
・・・カシャッ。
初めてモンゴルの景色を切り取るべく、私は、カメラのシャッターボタンを押した。
「明日の朝は、10時30分に迎えにきますね~」
そう言ったビャンバーさんは、約束どおり、というか、少し早めの10時ちょっとすぎには通訳のバヤサさんをともなって迎えにきてくれた。運転手さんも、昨晩と同じ人だ。
あらかじめ買い出ししておいてくれた食材、水などの荷物をチェックし、足りないものを買うため、マーケットに行った。
はじめて入るモンゴルのお店は、ものめずらしくて、買物というより、ながめては歓声を上げる私たちだった。
いつかテレビでみたことのある、北海道に多くあるというロシア人専門の免税店、という感じの店内だ。
モンゴルも90年代初頭までは共産圏で、今でもロシアの影響は色濃く残っている、とは聞いていたが、なるほどな~と思う。
ここでは、水を買い足した。買い置き分と合わせて50リットルくらいになったろうか。
すごい量だと思うけれど、これで4人が3泊4日を過ごす飲み水と、生活用水とをまかなわなければならない。
ビャンバーさんは、お菓子、ジュース、パンなど、ふんだんに買いだしておいてくれたので、 なんでもいるものは言ってくださいと言ってくれたけれど、これ以上は充分な気がした。
次に行ったのは、モンゴル人の人も普段利用するというマーケット。
ここでは、パン、ヨーグルト、果物と、1キロ2200トゥグルグ也のキャンディをはかり売りで少々買った。
それから、食器洗い用のスポンジと洗剤も購入。
マーケットに入ってから、ずっとゴウを見ていた同い年くらいの男の子が話し掛けてきた。
たった2語しか知らないのに、名前を聞き合って、握手してとすっかりうちとけちゃっている。
とはいえ、その名前を聞き取れていないところが、さすが。
それでも、モンゴルで初めての友達だね、と嬉しそうなゴウ。子供ってすごいなぁ。
さすがにおなかが空いてきた。
ファーストフード店で簡単に食べますか、というビャンバーさんの提案で、「ベルリン・ファーストフード」というドイツ資本のお店に行き、皆でブランチをとった。
ここでビャンバーさんとわかれて、いよいよ、遊牧の民・ダワニャム家のゲルに向かって出発だ。
ここから、モンゴル語しかできない運転手さんとの会話を通訳してくれるのが、ビャンバーさんからバヤサさんにかわった。バヤサさんも、日本語はとっても上手だ。
モンゴルの大学で2年間、通訳になる勉強をしたそうだ。日本にはまだ行ったことはないとか。
モンゴルの女性は、若くてもすごくしっかりしているなぁという印象だ。
青いランドクルーザーは、ウランバートルの街を抜け、舗装された道路を走っていく。
町の中心部、にぎやかな場所はあっけなく終わってしまい、郊外になってくると、ビルは減って、ゲルの数が増え、しだいにそれもまばらになって、冬枯れた草原に、電柱のみの景色となる。
電柱がなくなってきた頃には、舗装道路からわだちが残るのみの道なき道となり、起伏をとらえて、車は大きく揺れるようになる。
車に乗れば必ず酔うアカネには、あらかじめ酔い止め薬を飲ませておいたが、疲れもあってか、街を出る頃には眠りについていた。
ゴウも車には酔いやすいのだが、ものめずらしい風景を眺め、運転手さんに「まだ?」としつこく聞いているので、気がまぎれて酔わないようだ。
トゥーラ川を左手に見ながらゆるやかな山並みを進む。
いつのまにか眠ってしまっていた私とゴウも、「さぁ、つきました」の声で目を覚ました。
4つのゲルが建つところ、ダワニャム家の冬営地に到着した。

はじめまして

長女・アルゥンチム(アルカ)とお散歩するアカネ。

さっそく、生まれたばかりの仔ヤギ・オーガナを抱かせてもらっていました。

飛行機でのたいくつしのぎに持ってきたオセロが大人気!

ダワニャム三姉弟。手前から、長男・アルゥンボルト(ボルト)11歳、次男・ムンフボルト(ムンフーシェ)9歳、長女・アルゥンチム(アルカ)13歳。

スーテー・ツァイを作るバイルマーお母さん。

夕ごはんを作るバヤサとアカネ。

大なべに水をはって、お米を入れた小なべをセット。ふたをして蒸し焼きにして炊きました。

ダワニャム家の夕ごはんは、ヌードルのようだ。バイルマーお母さんがお手伝いさせてくれた。

豪華夕ごはん。メニューは、白米、黒パン、肉野菜炒め、キムチ、ピクルス、瓶詰めの野菜。

家畜の囲いの周りで遊ぶ子供たち。モンゴルの子供たちは、ひょいひょい柵を越えるけれど、ゴウもアカネもそうはいきません。

牛さんたちも、夕ごはん。エサやりは、アルゥンボルト(ボルト)の仕事です。

仔牛は、乳を搾る間、繋がれているのです。ごめんね、お母さんのミルク、分けてもらってるね。

搾ったミルクをゲルに運ぶアカネとアルゥンチム(アルカ)。

20時をまわって、ようやく外が暗くなってきた・・・というのに、元気いっぱい遊ぶ子供たち。左は、お隣のゲルに住む、ナーランガーラン(9歳)。

オーガナをかまって楽しそう。

東から2つ目のゲルが、今回お世話になるダワニャムさんのゲルだ。
さっそく寝ぼけ顔の子供たちを起こして、荷物を運び入れる。
大量の水とジュース。トランク、寝袋、食材の入ったケースふたつ。
ダワニャム家の子供たちも出てきててきぱきと手伝ってくれ、あれよあれよという間に終了してしまった。
ゲルの中に招き入れられる。初めて入るゲルにわくわくしてしまう。
おおっと、ドアが意外と低いぞ。身長155センチの私でも腰をかがめて中に入ることになる。入ってしまうと、天井はけっこう高いんだなぁ、なんてものめずらしげに見回していると、入り口正面の上座ソファをすすめられた。 ゲルの中と外を出たり入ったりしていたダワニャム家の3人姉弟も、お父さんに呼ばれてお行儀よく、しかし、ちょっと居心地悪そうに向かって右のソファベットに腰掛けた。
外国からやってきた私たち3人の居候がいるからだろう。どうしていいものやら、という顔をしている。それでも、自分たちと同じくらいの年頃の子供がいるので、気になってしかたがないという様子だ。
お母さんがスーテーツァイを湯のみにそそいでくれ、おなべに入った手製の揚げ菓子をすすめてくれて、ようやく自己紹介となった。
私たちは、例によって、たったふたつしか知らないモンゴル語でご挨拶し、名前を言う。
ダワニャム家は、ご主人のダワニャムさんと、奥さんのバイルマーさん(私と同い年でした!)、13歳の長女アルゥンチム、11歳の長男アルゥンボルト、9歳の次男ムンフボルトの5人家族。
ところが、このモンゴル語の名前、なかなか覚えられない。翌日になって、略した言い方を教わって、ようやく名前を呼べるようになったものだ。
でも、名前なんか呼べなくても、言葉なんか通じなくても、子供って遊ぶんだから、すごい。
自己紹介が終わって、お土産を渡すと、待ちかねたように子供たち5人は外に飛び出してゆき、家の周りを案内してもらったり、仔ヤギを抱かせてもらったり、おおはしゃぎ。
男の子3人組が駆け回っているのにたいし、女の子2人はお手手つないでのんびりお散歩をしていた。
二人とも、いつのまにか、というより、あっという間にそこに居場所を見つけていたという感じだ。
早川さんからは、「遊牧民の暮らしって、子供さんにとっては、ものすごいカルチャーショックだと思いますよ」と何度も言われて、かなりの覚悟をしていたほどなので、ちょっと拍子抜けしてしまった。
彼らは本当にあっさり、当たり前のように、一瞬でなじんでしまった。子供には、言葉や文化の壁なんか、見えてないんだろうなぁ。
長く付き合っていくうちには、だんだん見えてくるのかもしれないけれど、とりあえず今、遊ぶのにはまったく関係ないみたいだ。
夜は、バヤサさんとごはんを炊き、野菜炒めを作る。 高地のせいか、なかなか火が通らない。明日からはちょっと小さく切って作らなくちゃね。
かんたんな食事は済み、その間にも、バイルマーお母さんはウシの乳しぼりをして帰宅、短い時間でささっと小麦粉をこねて、麺を作りはじめていた。うどんみたいな感じだ。
これを、干し肉を裂いて水につけ(乾物をもどす感じ)、煮てスープにしたものに入れて食べる。スープの味付けは、塩のみだ。
麺作りをアカネが手伝わせてもらった。うきうきと麺をのばしている。
日本にいると、「お手伝いはいいから。もう宿題はすんだの!?」などと、親のほうがめんどうくさいのを理由に、丁重に(?)お断りされてしまい、チャンスをもらえないアカネ、ここぞとばかりにお手伝いをできて、嬉しそうだ。
いかんいかん、ちゃんとやらせないとなぁ~なんて、さっそく反省するハハだった。
びっくりしたことといえば、遊牧民の食事タイムっていうのは、どうやら「ない」ということ。
おのおの、仕事が忙しいから、手のあいたときに、適当に食べる。家族そろって、いただきます、なんてことはほとんどない。
日本で問題になっている「個食」というスタイルだ。
でも、せまい家の中、家族がよってたかって暮らしているわけだから、日本で問題になる「個食」というのとは、全く違う。しかたなく個食、なのだ。
お母さんは、だいたいの時間でごはんを作り、ゲル中央のストーブにかけておくから、帰ってきた人から順に食べ、終わったら食器ははじのほうに置いておく。皆が食べ終わると、お母さんがからっぽになった鍋にお湯をわかし、洗剤を入れて洗うのだ。
基本的に食事の作り置きはしない。というか、できない。
冷蔵庫がないから、とっておくのは危険。だから、食べ切りなのだ。
冷蔵庫といえば、戸外に木の小屋がある。そこは、家の中より涼しいので、そこに干し肉や、ミルクなど、痛みやすいものを保存している。
でも、なぜか、使い終わったペットボトルもそこに入れる。
ゴミ箱も兼なんだろうか?・・・と思ったら、私たちの使ったペットボトルは、いつのまにかヨーグルトやミルクの入れ物になっていた。保存のほか、放牧に出るときの水筒代わりにもなっていた。
なんでも、あるものを使いまわす文化なのだなぁ、と妙に感心してしまった。
私は、明治生まれの祖母と、戦中生まれの母に育てられたので、もったいないが口癖、という環境で大きくなった。だから、こういうのは、なんだか、ちょっと懐かしい。
おやつに関しても、そうだ。
仕事の手が少し空くと、それぞれに休憩を取る。キャンディ、お母さんお手製の揚げ菓子、ビスケットや果物など、その時あるものを適当に食べてはさっと席を立って、仕事に戻る。
彼らは甘いもの好きのようで、老若男女問わず、キャンディを喜んで食べていたなぁ。
仕事をしながら、手軽に食べられるのがいいのかもしれない。 スーテーツァイだけは、お母さんが1日1回沸かして、大きなポットに入れ、テーブルにどーん!と置いてあるので、それを飲みたいときに飲んでいる。
そうそう、このスーテーツァイの作り方、私には、とっても衝撃だった!
あるとき、バイルマーお母さんが、おもむろに棚から皮製のズタ袋とトンカチを取り出した。
ストーブには大鍋にお湯がグラグラしはじめて、沸きつつある。思いっきり年季の入ったズタ袋の中には、なんと馬糞のカタマリのような物体。
???となっていると、バイルマーお母さんってば、その物体をトンカチで叩いて崩し始めたのだ。
なんなんだ、コレは!?
かたまる私に、
「スーテーツァイ、スーテーツァイ」
と教えてくれる。
こ、これが、スーテーツァイ!?
あの、おうちに来たとき、すぐ出してくれた!?
うわ~~~!
馬糞のカタマリのような物体、それは、スーテーツァイの茶葉だったのだ!
おまけにお母さん、床にこぼれるのもまったくおかまいナシ。アルゥンチムが拾って、沸き立つお鍋にパラリパラリ! 落ちて3秒以内ならゴミじゃない、なんてどころじゃない。
仔ヤギも、おとなりんちのコもてんでに駆け回るゲルの暮らし。スーテーツァイ製造シーンを見て、なんだか吹っ切れた気がする。もうなんでもどんと来い!だ。
緯度が高いため、いつまでも明るい空にだまされるけれど、気が付けば、もう20時をとっくに回っていた。日が暮れ始めると、モンゴルの大地はあっという間に暗闇に包まれてしまう。
もうなぁんにも見えない。 寝る前のトイレにとゲルの外に出てみたら、満点の星空だった。
キラキラたくさんの星に飾られ、東京の空ではいつも寂しげにぽつんと見えるオリオンがなんだかわいわいにぎやかで嬉しそうに見える。
おおくま座、こぐま座、カシオペア座、私にはそんな有名どころの星座しかわからないけど、子供たちと見上げる幸せ。
バイルマーお母さんは、そんな私たちを不思議そうに見ていた。そうだよね、彼らにとってはこれが当たり前の空なのだから。
暗さになかなか慣れない私たちの目は、懐中電灯なしにはトイレの位置もわからない。走り出すアルゥンチムの後を、慌てて懐中電灯で照らしながらついていくアカネ。
もしかして、そんなのナシでもぜんぜん大丈夫なの? 見えてるの? と聞くと、もちろん、という顔をされてしまった。
コンタクトレンズ使用歴20年以上、ド近視・乱視・トリ目と3拍子そろっている私には、なんともうらやましい話だ。
夜は静かだった。
天幕の生活第一日目は、静かにふけてゆき、ゆったりと眠りにつき・・・
「ママぁ~・・・トイレ」
アカネの声でうとうとまどろんでいた眠りから覚めさせられた。
え、マジで!?
ゲルはみんなの生活の場。寝るのも起きるのも、みんな同じ時間。
夜中のトイレって困りものだ。
でも、生理現象だけはどうにもできないよね。
もぞもぞと懐中電灯を探し、つけた。バイルマーお母さんが気付いた。
もしも、夜、トイレに起きるなら、起こしてね、と言われていたので、日本語だけど、声をかける。
「アカネがトイレだっていうから、行って来るね」
ドアにはカギがかかっていた。
外は相変わらずの満天の星空。そして、寒い。
ウシと、ゲルで飼っているイヌくんがうろうろしているので、ちょっとコワい。
遠くで遠吠えが聞こえるから、さらにコワい。
イヌなのか、それとも・・・オオカミ!? ブルブルブル。
か、考えないようにしよう。
運転手さんがウランバートルに帰る前に作っていってくれた即席トイレはあまりにも遠く、ゲルの裏手で、アカネをせかして、すませた。
キィ~
・・・ごそごそ。
ドアの音も、シュラフの衣擦れも、なんだか大きく聞こえて、みんなに申し訳なく思ってしまう。
やっと寝息になったアカネと、ばちばち静電気を出しながら寝返り激しいゴウの間で私はため息をつきながら、再び眠りについた。
天幕の屋根に渡る風の音がかすかにしていた。

ゲル2日目の朝。オーガナを外に出すお仕事をもらって、ゴキゲンなアカネ。

お母さんヤギのチェチカと、オーガナ。

搾りたての牛乳。バイルマーお母さんが、温めてくれました。

山のほうへ、ヤギを放牧します。ちなみに、モンゴル語でヤギは「ヤマ」。裏山をさして「ヤマ、ヤマ」というのを、山のことかと思っていましたが、彼らは山から降りてくるヤマ(=ヤギ)のことをさしていたんですね・・・

ダワニャム家の父と息子たち。

標高が高くて、空気が薄いのでしょう。0メートル地帯育ちのヤワな私たちには、かなり堪えます。あっという間に息がゼイゼイ。「疲れたから、おれはヤギに乗る!」と意気込みましたが・・・

「じゃぁ、おれが」といたずらっこのムンフボルト(ムンフーシェ)が挑戦。やっぱり、歩かない。

「一番軽いヤツが行け!」と言われ、しかたなくアカネが挑戦。動物はちょっとニガテなアカネ、びくびく・・・

「ひぇ~」ヤギの背中は、骨がゴツゴツしてるんだとか。「キモチワルイよぉ~」

山の上からの眺め。ゆるやかに見えて、けっこうな高さです。

岩がゴロゴロ。歩きにくいです。

崖に座って、ひとやすみ、ひとやすみ。

ムンフボルト(ムンフーシェ)撮影による風景写真。

姉妹のような後姿デス。

何を話しているのでしょうね。言葉は通じないはずなのに、この表情!

なんと、馬を引いてきてくれました。

でも、残念ながら、お仕事。思ったより遠くに行ってしまったヤギたちを追うため、アルゥンボルト(ボルト)が乗っていきました。風のように走り去るボルト、かっこいい~!!

ひと仕事終えて、ゲルでひと休み。ムンフボルトはオセロやろう、と出してきました。ダワニャムお父さんも気になるみたいで、勝負に参加!

遊牧民を目指して

天幕の暮らしとは、かくいうものか。
天井の明かり取りがうすぼんやりと明るくなって、朝がきた。明かり取りの窓になっている天井の穴にかかったビニールが風になびくのをじっとみつめていると、いつのまにかバイルマーお母さんが目を覚まし、ストーブにまきをくべる気配がした。
ぱちぱちとまきがはぜる音がしはじめる。ゲルの中がだんだんと暖かくなる。ちょっと暑いくらいになってきた頃、ごそごそと皆が起きだしてくる。時計を見ると、意外にもけっこう遅い時間、8時30分だ。
「オハヨウゴザイマス」
通訳のバヤサさんの声がする。
夜、なかなか寝付けなかったトイレ娘・アカネは、まだ夢の中。
ゴウは皆の気配で目を覚ました。
あれ、おはようってモンゴル語でなんていうんだっけ・・・?
目は覚めているけれど、頭の中はまだぼんやりな私。
とりあえず、身支度をする。さっと着替える。シュラフをたたむ。私たちがぱっぱとしないと、ソファが作れないからだ。ダワニャム家のソファは、下の部分を引き出すと、広いベッドに早変わりする便利なシロモノだ。
まだ小さいからと、仔ヤギのオーガナは、夜だけゲルの一員で、朝になると
イスに縛っていた紐をほどいてもらえる。みんなが寝ている間に、熱いストーブでやけどをしないようにするためだ。前に生まれた仔ヤギは、ストーブに近づいて焼け死んでしまったことがあるという。
そういえば、ヤギって、いまいち学習能力がない気がする。昨日も、何度もストーブに近づくオーガナを、皆で追い払ったのだが、何度追ってもまた来ていたっけ。
朝の仕事は、ゴハン作りから始まる。今朝は何を作りますか、とバヤサさんが言う。朝はあまりあれこれ食べない習慣の我が家、ありもののパンにジャムとか、ビスケットとかでいいよ、と言ったのだが、キュウリやトマトを切ったり、牛サラミをバターソテーしてくれたりしたので、私も一緒にやる。
バイルマーお母さんは、ウシの乳しぼりに行くので、ついてこないか、と言ってくれた。
おぉ~、それはやってみたいっ。
しかし、朝食の支度も気になるし、子供の身支度の後始末もあるし、ど、どうしよう。しかたなく、朝食の支度をバヤサさんにお願いして、着替えの後始末も後回しにして、乳しぼりに行く。
バイルマーお母さんがしぼると、ビュウビュウ出るミルクなのに、私がしぼるとスカスカ。たら~りたらり、というくらいしか出ない。それも、なんだかアヤシイ透明な液。ミルクの一成分しか出てない気がする。
私の様子を鼻で笑いながら見ていたゴウも、やらせてもらったが、似たようなもの。バイルマーお母さんがぽむぽむと乳を触ってみて、あるある、まだ出るよ、というようなことを言ってくれたが、やっぱりぜんっぜんダメ。なのに、代わってもらったとたんにほとばしるミルク。修行が必要だなぁ~もぅ。
しぼったミルクをアカネに持って行かせて、柵に縛られていた仔ウシを呼んでやる。待ってましたとばかりにお乳に駆け寄る仔ウシくん。なんだか、先にもらっちゃって申し訳ない。
キミのゴハン、分けてもらったよ、ありがとう!
ゲルに帰ると、 さっそく温めたミルクをご馳走になる。なんだかちょっと生臭い。ヘンな話だが、母乳ってこんなニオイだったなぁなんて、子供たちが赤ちゃんだった頃を思い出す。思い立って、紅茶のパックを入れてみる。遊牧民風ロイヤルミルクティといったところだ。まぁまぁいけるけれど、そのままのほうがよかったかな。
朝、アルゥンボルトは、ヤギたちの放牧に行く。山のほうへ歩いていかせるのだ。2時間くらい歩くというので、水を持って、私たちもついて行くことになった。
私たちがもたもた支度しているうちに、アルゥンボルトとヤギたちはどんどん山の上へ上がっていってしまい、必死で後を追うはめになってしまった。
息が切れる。5分も歩いていないというのに、アカネが
「ねぇ、どれくらい歩いた?」
と聞く。
まだ5分ちょっとだよ、というと、もう疲れたという。
確かに、息が上がる。
ここは高原、私たちの住んでいる海抜ゼロメートルに近いあたりからすれば、気にしなかったけど、空気が薄いはずだ。それに、私は日頃の運動不足もたたっているだろう。ゼイゼイする。ハァハァする。つ、つらい。うぅ。
心配して、アルゥンチムが手をつないでくれる。ありがたいが、かえって歩きにくかったりして。
アカネはもうダウン寸前。ゴウも意地を張っているが、かなりつらそうだ。
都会のお嬢さんとはいえ、バヤサも高地育ちのモンゴル人、若さもあってか、息は乱れない。みんな、日本人って、軟弱だなぁと思っているに違いないな、こりゃ。
「疲れたから、オレはヤギに乗る!」
ゴウが突拍子もないことを言い出した。
アルゥンボルト、ムンフボルトの男の子軍団が、おもしろそうに仲間入りした。
アルゥンボルトが黒いヤギに目をつけて走っていったかと思うと、とっ捕まえ、
「コウ! コウ!」(アルゥンボルトは、どうしても「コウ」になってしまう)
と呼ぶ。
よしきた、とばかりにゴウが乗る。
・・・動かない。
ムンフボルトがヤギのおしりをたたきながら、
「チョー!チョー!」
と、せきたてる。
やはり、動かない。
一歩も、微動だにすらしてくれない。
今度は、ムンフボルトが乗ってみる。
やっぱり、ダメ。
「軽いやつがいいんだよ、きっと。アカネ、来い! お前が一番軽いから!」
実はいまいち動物がニガテなアカネがちょっぴりしり込みするが、なんとなく雰囲気で乗る、というか乗せさせられる。うう~ん、やっぱり動かない。
「ヤギ、使えねー!」
なんとも口の悪い我が息子だ。
そんないたずらをしている間に、ヤギたちはてんでんばらばら、4つのグループに分かれてしまっていた。アルゥンボルトの指示で、群れをひとつにまとめ、東のガレ場のほうへ追いやる仕事が始まった。
モンゴルの山は、見た目はゆるやかでやさしい景観だが、実際登ってみると、これがけっこう険しいうえ、大小の岩がゴロゴロしているところもある。
ヤギたちは、早足でどこまでも行ってしまうから、いったん間があいてしまうと、追いかけるのは大変だった。
ヨレヨレとついていく私たちなんちゃってヤギ飼いをしり目に、これが日課のアルゥンボルトとムンフボルトはちゃっちゃと追い立てていた。アルゥンチムとバヤサさんは、遅れがちなアカネを気遣ってくれる係だ。
ガレ場を越え、東の山へヤギたちが移動していき、私たちはやっとこさ、お役ご免となった。ゴツゴツとした岩場を登って遊んだり、水を飲んでほっと一息ついたり、思い思いの休憩タイムとなった。
遠く、小さく見えるダワニャム家のゲルを見渡して、モンゴルの風に吹かれ、私はとってもいい気分だった。
叫びだしたい! 歌いだしたい!
そんな気持ち。
ぼちぼち、ゲルのほうへ向かって歩き出すことになった。アルゥンボルトは、ひとり、ヤギをまとめに行く。アルゥンチム、ムンフボルトの姉弟と私たちは帰る。
しばらくして、アルゥンボルトが遠くから弟になにか話し掛けた。ムンフボルトはというと、完全無視。2人でちょっと言い合いになる。
バヤサさんに通訳してもらうと、ヤギたちが思ったより遠くに行ってしまったから、手伝ってくれよ、と頼んでいるのだが、ムンフボルトはイヤだと言っていたのだそうだ。彼らも兄弟ゲンカするんだなぁ、当たり前だけど。
モンゴルに来てから、子供たちがびっくりするほどお手伝いをするし、精神的にすごく大人なことに、私はすごく驚いていた。大人が何か頼むと、ぜったいイヤとは言わない。彼らなりの役割分担もあるようだ。
そして、すべてがいわゆる「お手伝い」レベルではないということ。例えば、アルゥンボルトは11歳だが、彼くらいになると、もう本当に一人前なのだ。それに、私たちが何かしていても、すっと手を差し出して、さりげなく手伝ってくれる。
日本の子供とは、何かが違うと感心していた。
ゲルまであと少し、というところまできたとき、ダワニャムお父さんと、バイルマーお母さんが白い馬を1頭、ひいてきた。モンゴルに行ったら馬に乗る!と楽しみにしていたゴウは色めき立つ。
が、残念。まずは仕事だ。
ムンフボルトがひらりとまたがり、東の山へ走り去った。遠くまで行ってしまったヤギたちを追う兄を助けるため、馬で行きなさい、ということだ。
彼らが帰ってきたら、午後は乗馬していいからね、とダワニャムお父さんが言ってくれた。
ゲルに帰ってひと休み。お昼ゴハンの支度もしなければならない。
ゴウは、おとなりのゲルに住むオラカという、彼より少し年下の男の子と外で遊んでいた。アカネは、アルゥンチムとオセロをはじめた。
オセロは、飛行機での長旅、たいくつしないように日本から持っていったものだ。ゲルで出したら大人気。バヤサさんに遊び方をモンゴル語で伝えてもらうと、たちまちはやった。
みんな、かわるがわる、対戦を挑んでくる。最初はルールどおりに動かすのがやっとで、いつも勝つのはゴウとアカネだったが、だんだん、みんな強くなっていった。おちゃめなアルゥンボルトはいたずらをして、アカネをぴーぴー言わせることもあった。ダワニャムお父さんも、ときには対戦相手になっていた。
みんなでひとつのゲーム盤を囲むって、楽しい。日本では、時間に追われてなかなかできない、貴重なひとときだ。
お昼は、野菜スープと、パン、マカロニサラダにしよう、となった。アカネが張り切ってお手伝いをしてくれる。にんじんを切ったり、キャベツをむしったり。
本当に嬉しそうにやっている。よかった、よかった・・・と思っていたら、慣れないナイフで親指の先をちょこっと切ってしまった。あらららら。
こんな時のために、バンドエイド、消毒液、ガーゼなどを救急セットとしてジップロックに入れ持ってきていた。出番だ、出番だ。傷はたいしたことがなくて、ほっとした。
慣れないことは、するもんじゃないでしょ、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。ハハとしては、それがホンネ。けれど、こんな機会、日常ではなかなかもてない、というのは、オセロゲームと同じだ。
ゴハンを作っていたら、アルゥンボルトとムンフボルトが帰宅した。バイルマーお母さんとアルゥンチムもゴハンの支度を終え、手の空いた人から食べ始める。
お昼は、昨日と同じ、干し肉スープのヌードルと、パン少々。私たちが作り過ぎて食べきれなくなってしまったマカロニサラダを勧めると、気持ちよくペロリとたいらげた。
普通、牧民の生活では、あまり野菜を好まず、食べる機会もないというが、ダワニャム家の人たちは野菜好きだそうで、何でも食べると言っていた。
ウランバートルのビャンバーさんに、
「モンゴル人の主食ってなんですか?」
と聞いた時には「お肉よー。肉、肉、肉ですネ、モンゴル人は。ゴハンはあまり食べないよ」と言っていたっけ。お肉ってどうもスタミナ~という気がしてしまうけれど、ビャンバーさんはとってもスマートで、すらっと背が高く、ちょー今風なファッションをしたおしゃれな女性なんだけど。
同じウランバートルの人でも、バヤサはなかなか食に気を遣う。彼女は、お肉をあまり食べない。ゴハンとか、パンとかはよく食べていたかな。野菜も好きそうだった。マヨネーズ和えのサラダを作ってくれたときも
「日本人はこれ、スキですよね。でも、私はマヨネーズはあまり食べない、太くなるから。」
長身でスマートなバヤサ、身なりにも体型にも気を遣う、若くてかわいい都会のお嬢さんなのだ。住んでいるところによっても違うだろうし、「食」って、やっぱりモンゴルでもこれ、っていうのはないんだろうなぁ。
ちなみに、我が家は、日本では、ばりばりのゴハン党だ。今どきめずらしいだろうか、白米と納豆、ほうれん草のおひたしが大好物。五穀米なんかもいいよねぇ、やっぱり日本人はゴハン! 
アジのひらきを焼いて、大根おろしたっぷりにおしょうゆ、じわ~ん、なんて、もう大ごちそうっていう連中なのだ。
でも、海外に出ると、とにかくなんでも食べてみたい党に早変わりする。困ったことにおなかも丈夫でめったに壊さないから、なんだか、なんでもアリ食道楽ツアーになっちゃうことしばしばである。市場とか、屋台とかで、めずらしいものを片っ端から食べまくるのが、旅の楽しみのひとつだ。
さて、ではモンゴルではどうか、というと、残念ながら、あんまり食事は落ち着いてできていなかった。到着したのが深夜だったので、朝はバタバタしているうちにホテルの朝食を食べそびれた。迎えにきたビャンバーさんは心配してくれたけど、正直、移動中の機内食攻撃と、旅の興奮でお腹いっぱい、胸いっぱい状態だったから、出されても食べられなかっただろう。モンゴルのホテルの朝食を見そびれたことだけが心残りだけど。
遊牧民のゴハンも食べてみたかったけど、例によってなんとなく個食な食事だし、私たちは私たちであれこれやることが目白押しなので、「食べてみたい・・・」と言い出せないうちに、お片づけにってしまい、残念無念なのだった。

アルゥンボルト(ボルト)が帰ってきたので、乗馬をさせてもらえることに。やった!!白馬・ハリオンにまたがります。

私も、茶馬・ホンゴルに乗せてもらいました。

誰かが手綱をひいてくれて、ゲルの周りで練習します。

ひたすら、ぐるぐる。

今度は、アカネと交代。やった~♪

バヤサにひいてもらって、練習です。

合間をぬって、お昼ゴハンの支度。お手伝いいっぱいできて、嬉しそう~

仲良しのふたり

モンゴルの民族衣装・デールを着たバイルマーお母さんと子供たち。民族衣装って、やっぱり、現地の景色がよく似合います。それにしても子供たち、本当の兄弟に見えるぅ~!モンゴル人と日本人って似すぎデス。

子供たちで、パチリ。

家畜小屋にて。

泉のほうへ向かって。

馬に乗るぞ

話がすっかりそれてしまった。
昼食後、ダワニャムお父さんが馬に鞍を着けて、私たちを呼んでくれた。ゴハンの後片付けが気になるものの、彼らも一日の仕事をこなさなくてはいけないので、さっと行かなくてはならない。やっておきますから、と言ってくれるバヤサに甘えて、子供たちと私で外に出る。
ダワニャム家の家畜は、ヤギとウシが主で、馬は2頭のみだ。名前は、白いほうがハリオン、茶色いほうがホンゴルという。鞍も、大人用、子供用一つずつしかないから、私と、子供のうちどちらかが乗ることになる。最初にゴウが呼ばれて、アカネはちょっとおかんむり。
ゴウは、はりきって乗ろうとするが、背の低いモンゴル馬とはいえ、身長128センチのゴウにはなかなか難しい。ダワニャムお父さんがひょいと抱き上げて乗せてくれた。
まずは、ゲルの周りを、誰かに引かれてひたすら歩く。最初は、アルゥンボルトが、そのうちムンフボルトが交代してくれて、引かれるままにぐるぐるぐるぐる。私のほうは、アルゥンチムが引いてくれて、アカネがちょろちょろと走り回ってついてきていた。
いつのまにか、おとなりのオラカや、オラカのお姉ちゃんのナーランガーランが加わって、日本からはるばるやって来た、馬にも乗れないナサケナイガイジンのお世話を焼いてくれる。
ありがとう、ありがとう!
なんだかあまりにも長いこと引いてくれるので、そのうちに申し訳ない気がしてきてしまう。
タバコを吹かしながら、見守ってくれていたダワニャムお父さんが、時々声をかけてくれる。
「どうですか、疲れませんか?」
と言ってくれているらしい。
大丈夫、ぜんぜん疲れない! 楽しい!、と答えた。
ものはためしで、
「ひとりで乗れるようになりたいです。どれくらい練習すればできるようになりますか?」
と聞いてみた。
バヤサが言いにくそうに通訳してくれる。
「ひとりは危ない、と言っています。日本の馬と違って、モンゴルの馬は野生だから、気が荒い」
う~ん。というか、ひとりで乗れるようになるように、練習したい、ってことで、今すぐって言っているんじゃないんだけどなぁ~。だめかなぁ~?
まぁ、気軽にイイヨイイヨ、なんていう人より、ずっと信頼できる。懲りずに少しずつ、またおねだりしてみよう。
洗い物を済ませたバヤサが、また様子を見に出てきてくれた。
ゴウのほうは、アカネに交代して、また歩きはじめる。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ゴウは、
「ママはずぅーっと乗ってるのに、おれたちだけ交代で、ずるいよー」
とウルサイ。
しかし、子供用の鞍でないと、おしりがカパカパしてしまって、落馬の危険があるから、慣れないうちはダメだとダワニャムお父さんに言われ、しかたなくカメラマンになった。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
モンゴルの鞍は、日本の鞍と違って、木製なので、固い。ウマの振動で腿の内側が擦れて、長時間乗っていると痛くなってしまう。サラブレッドのように背が高くないので、怖さはあまり感じないけれど、ちょっと早駆けになると、ぽろっと落っこちてしまいそうになる。
ぼちぼち慣れたころ、アルゥンボルト兄弟がヤギを連れ戻しに行くので、馬もお仕事タイム。私たちも、残念ながら休憩になる。
ひらり、と軽々、馬の背に乗って駆け出すアルゥンボルトとムンフボルト。
か、かっこいいっ!
そう、モンゴルの少年の、馬に乗った時のかっこよさといったらない。
ふつうにしていたら、ただの小柄な少年。ちょっと小汚いといっては失礼かもしれないけど、牧畜の仕事でどうしても汚れてしまう服、今や日本ではめずらしくなってしまった洟垂れ少年。元気いっぱい馬糞・牛糞・ヤギ糞にまみれて遊び、垂れた鼻水はモチロン袖でぬぐっちゃう、ひと昔前には、日本のイナカにどこにでもいたような子供たちだ。
それが、馬に乗ったとたん、そこらのひょろっとしたアイドルのにーちゃんなんか及びもつかない、すばらしく精悍な少年に大変身するのだ! 
遊牧民の子供たちは、男の子も女の子も、4~5歳くらいから、親に教わって、馬に乗り始めるのだという。とすると、ダワニャム家の末っ子・9歳のムンフボルトだって、乗馬歴5年以上だろう。
放牧の仕事で毎日乗っているから、そのお手並みは実に鮮やかなものだ。日本のおけいこごとで乗る乗馬なんかとはわけが違う。必要だから乗る。彼らの生活は、乗馬に限らず、必要だからやる、できる、というものなのだ。
兄弟が帰ってきたところで、さらにヤギを連れて東のなだらかな平原へ行く。これを馬で連れて行っていいよ、と言ってもらった。
大人用の鞍をつけたホンゴルに私が、子供用の鞍をつけたハリオンにゴウが乗り、アカネとバヤサは歩きでついてくる。
ダワニャムお父さんと、ダワニャム家の姉弟3人がかわるがわる私たちの馬を引いてくれながら、ヤギを追い立てて進む。
散らばりがちなヤギは、人が周りから囲みこむようにして、行かせたい方角へ進める。
遅れたのや、外れたのには、石を投げたり、木の棒でたたきながら、
「チョー! チョー!」
と、声をかけて群れをまとめる。どうも、せきたてるときの言葉のようだ。
馬を進めるときにも、
「チョー!」
という。私たちが覚えた、数少ないモンゴル語(?)だ。
気がつくと、オラカが馬に乗って追いかけてきていた。彼もやはり、うまい。ネズミの穴だらけのでこぼこな道も難なく乗りこなしている。
朝から、かかとのあたりを時折痛がっていたアカネが本格的に痛がりはじめ、それまでゴウと交代でハリオンに乗っていたのだが、ダワニャムお父さんはオラカの馬を借りて、アカネを乗せてくれた。
平らな草原になり、ホンゴルを引いてくれていたダワニャムお父さんが、何の前触れもなく、私に引き綱を渡してくれた。
えっ、ひとりで乗ってもいいの!? ホントに!?
思いがけなく早く訪れたチャンスに、おとな気なく心はときめいてしまった。
-引き綱は、左手で持つ。少し長めにして、馬のおしりをたたく。
-手綱はしっかり持って、絶対に離さないで。止まるときは、思い切り引く。
教えてくれたのは、たったこれだけ。ホンゴルはおっとりしたやつで、のんびりのんびり歩くので、とにかくやってみる。
右に引くと右に曲がるし、左に引くと左に曲がる。引っ張れば止まる。おしりをたたくだけでなく、かかとで馬のおなかをちょこっと蹴ると、スムーズに進みだす。・・・教わらなくても、なんとなく体得していった。
ひと足お先にひとりで乗せてもらうことになって、うっきうき♪の私にひきかえ、ゴウはすっかりご機嫌ナナメだ。
「なんでママだけひとりで乗るんだよー。ずっり~」
ぶつくさ文句を言っている。
ふふん、実力ですよ、じ・つ・りょ・く、などと、からかってしまう。心はすっかり9歳児と対等な私だった。
せっかく3人で乗っているのだから、記念写真を撮ったら、とダワニャムお父さんが馬の引き綱をまとめて持って、馬を止めてくれた。
カメラを渡すと、アルゥンチムが嬉しそう。張り切ってカメラを構え、シャッターを切ってくれた。
帰国して、現像・プリントするのが楽しみ、楽しみ!

残雪にしか見えなかった泉。でも、よく見てみると、凍りついた雪の下に水脈がありました。

雪の上に並んで記念写真。夏だったら、こんなふうには立てないんでしょうね。泉の真上なんです。

ホンゴルを連れて。遊牧民の少年に見えるかな?

ゲルに帰ろう! 夕方の一仕事が待ってるぞ~。

今夜のメインメニューは、モンゴル料理「ボウズ」。材料は、小麦粉、水、細かく刻んだ肉、キャベツなどの野菜です。まずは、小麦粉に水を加えてこねましょう。

生地がまとまってきたら、いったんボウルをかぶせて落ち着かせた後、何等分かにわけ、棒状に伸ばしていきます。もちろん、アカネもお手伝い♪

棒状になったものを、包丁で等分に切ります。これをめん棒で伸ばすと、皮になるんです。

細かく刻んだ肉や野菜に塩で味付けした具を皮で包んでいきます。皮を作る人、具を包む人と女性陣総出の作業、なんだか楽し~い!おしゃべりにも花が咲くってものデス。

包んだら、大なべで蒸します。

その頃、ゲルの外では、男性陣が夕方の仕事をしていました。ゴウもダワニャムお父さんのお手伝い。木を切って、ストーブで燃やすまきを作っています。

ダワニャム家の前が低木地帯なのはまきを確保するためなのかな? そういう場所を選んでゲルを建てるのかもしれません。

ウランバートルに戻る前、運転手さんが作ってくれたトイレ。ダワニャム家のトイレは、裏山の家畜小屋の裏あたりにあったけど、みんな、そこらでしてましたね。

草原には、こんな動物の骨がよく落っこちています。

お隣のゲルに住む、人々。左の男性は、ナーランガーランとオラカ姉弟のお父さんです。オラカにそっくり。

食事の後、バイルマーお母さんが、モンゴルの民族衣装・デールを着せてくれました。ガウンのようなコートのようなもので、おなかの部分に細いベルトか、帯を巻きます。ダワニャムお父さんも着てくれました。なんだか、大家族みたい!(撮影・バヤサ)。

私に着せてくれていたバイルマーお母さんのデールを、アカネがはおってみました(長くてすそはずるずるなんですが・・・)。似合うかナ!?

それを見ていたバイルマーお母さんが、「ボルトの新しいデールがあるから、着てごらん」と、ゴウに着せてくれました。

ムンフボルト(ムンフーシェ)の帽子を借りると、あらまぁ! 兄弟のようなアルゥンボルト(ボルト)とゴウ。モンゴル少年になってしまいました。

撮影会が終わって、ふぅ。ふかふかのソファに座り、オーガナを抱っこするアカネ。あったかいね。まだちょっとおそるおそる抱いてます。

ムンフボルト(ムンフーシェ)が、「次は、おれおれ!」とボルト兄ちゃんからデールを奪い取って(?)着替えました。今度はムンフーシェとの「仲良し兄弟写真」デス。

料理に挑戦

ヤギを追ってゲルに帰宅すると、もう夕方の仕事がはじまる。
ゴハンの支度、夕方の乳しぼり、牛のえさやり、仔ヤギや仔ウシの背に寒さよけの布をかぶせる、などなど、やることは次から次へとある。夕方になると、ウシくんたちもゴハンがもらえるとわかっているのか、しばしばゲルのドアの目の前にぬうっと顔を出すので、アカネがおびえている。自分の視線に巨大なウシの顔、そりゃびっくりだ。ンモゥ~なんて鳴かれた日には、叫びだしたいキモチもわかる。
今夜は、ボウズを皆で作りましょう、とバヤサが提案した。ボウズというのは、見た目は飲茶で出てくる小龍包(しょうろんぽう)という感じのモンゴル料理で、小麦粉をこねて皮を作り、お肉のあんを包んで蒸す、というものだ。
お肉は、ウシでもヒツジでもなんでもいいらしいが、ウランバートルから買ってきたお肉が牛肉のかたまりだったので、今回はそれでいくことになる。かたまり肉を細かくし、玉ねぎ、キャベツのみじん切りとともにまぜて、塩で味付けをする。
皮は、小麦粉にミネラルウォーターを少しずつ入れていきながら、硬さがほどよくなったところでこねる。丸めて寝かせながら、最後は棒状にのばして、包丁で小石サイズに切り、それをめん棒を使って、ギョウザの皮のような丸い形に作る。この皮に、たっぷりお肉をのせて、つまむようにしてまいていくのだ。
通訳のバヤサは、とにかく上手。ひょいひょいと皮の端をつまんでまとめ、キレイな小龍包型が完成~! やってみますか、と言われ、もちろん、全日本主婦代表として受けてたちますとも!(笑)
・・・しかし。これが、めちゃくちゃムズカシイのだ。見るとやるとでは、大違い。およそ、簡単そうにやっているものは、上手な人がやっているからそう見えるのであって、実際は難しく、うまくいかないものである。まったく、その通り。
ギョウザの具なんか、少なめにしてちまちまはみ出ないように巻くのだけれど、ボウズの場合、え!?というくらい、どさっと気前よく乗せる。やわらかい皮は伸びるから、うまいこと引っ張りながらつまんでいけば、お肉は皮にムギュっと押し込まれて、まぁるい、ぷくぷくのおいしそうなボウズになる。
バヤサとアカネでこねた生地を、棒状にのばしていくと、バイルマーお母さんが切ってくれる。わきからアルゥンチムが手際よく丸くのばしていく。バヤサ&見習いの私、そしてさらに使えない見習いアカネが包んでいく。ずらりとならんだボウズは、トレイの上に整列して、蒸し器に入れられるときを今か今かと待っている。
ううむ。一目瞭然、バヤサの包んだものは、ちゃんと「ボウズ」。私とアカネのはなんだかちょっとひしゃげた形をした「ボウズ(みたいなもの)」?
やわらかな皮は、たっぷりの具を包むのに、少し引っ張ればよい、と簡単に書いたけれど、実際やってみると引っ張りすぎて穴があいて、あわわわ。ぽろんとお肉がこぼれ落ちちゃうのである。こいつも修行が必要だ・・・。悔しいが、全日本主婦代表は、あえなく敗北宣言したのである。
さぁ、ここで、遊牧民のおうちで何を作るにも活躍する大鍋の出番である。直径3~40センチはあるだろうか。家の中心、ど真ん中にででーんとあるストーブにひっかかる鍋なんてこれひとつだけだから、仕方ない。ちなみに、ゴハンを炊くときは、これより小さな鍋にといだ米と水を入れ、大鍋に少し水を張ったところに乗せてふたをし、蒸し焼き状態で炊く。お湯が沸騰して、蒸気をあげはじめたところで、ボウズを蒸す。20分くらい蒸すのよ、と言っていたかな。
ボウズが湯気を上げている横では、アルゥンボルトが、せっせと私たちが剥いた野菜のくずに穀物を混ぜて、ウシのえさを作っている。入れ物は、よく見るとポリタンクを横半分にカットしたものだ。ひとつの入れ物で、ウシ1匹分だ。だから、1匹が食べ終わったら、次のウシの分を用意しなければならない。これを、朝・晩欠かさず、アルゥンボルトがやっている。
バイルマーお母さんは乳しぼりに行き、ゴウはアルゥンボルトの手伝いをして、ウシのえさやりをしている。アカネは囲いの中に入って、ちょろちょろしていたら、バイルマーお母さんに、絞った牛乳をゲルに運ぶ仕事をいいつかった。ムンフボルトはヤギのえさやりをしている。私は、大事な大事な相棒のカメラを片手に、ゲルの周りをなんとなく歩いていた。
西の空に太陽が移動していく。少しずつだけれど、夕方の空の色に変わっていく時間だ。日本よりずっと遅い夕暮れだけれど、空の色はおんなじ。おんなじ空は、このまま、ずぅっと日本につながっているんだ。
皆、今ごろなにしているだろう? パパは、会社で時間なんて考えもしないでいるだろうな。またまた会議で、あくびなんかしちゃってるんだろう。ことちゃんちはピアノだな。発表会の曲、弾いてるかな? ゆかちゃんは英会話、りょうくんとけんちゃんは空手の日だね。がんばってるかな? 日本でのあわただしい日々を思う。
そうだ、夕焼けをこんなゆっくり見る日なんてあっただろうか。忙しいのは、きらいではない。困ったことに、けっこう好きなくらいだ。モンゴル遊牧民の暮らしだって、実はかなり忙しい。電気・ガス・水道・テレビに新聞、なぁんにもナイ。
だから、かえってやることが次から次へとある。ちゃきちゃきこなしていかないと、日暮れまでに終わらないから、昼間は、座っている時間なんてあまりない。家電サマに甘やかしていただいている日本での悪妻ライフのほうが、おさぼりする時間はあるくらいだ。
でも、なんでかな、こんなゆったりした空気の流れに感じるのは。ふっとなんにもない平原を見渡してみる。視界にはよけいな建造物はない。ただ、風が渡っていく音がする。家畜の鳴き声がする。周りにいる人は、ダワニャム家とその知人のみ。そこに、なんだか紛れこんだガイジン3人組の私たちが暮らしている。
・・・そんな環境のせいなのだろうか。
それとも、明るくなったら起きて、暗くなったら寝るという、実に動物的な生活のせいだろうか。モンゴル遊牧ライフ、時の流れは、摩訶不思議だ。
ボウズが蒸しあがったよ、とバイルマーお母さんが呼んでくれた。大鍋のふたを開けると、むわっと広がる湯気、おいしそうな匂い! 手分けして、ささっとお皿に盛る。
今夜の食事は、ボウズをメインに、ジャムつきパンと、すっかりおなじみになったビン詰めのサラダとピクルスのスライス。生キュウリも皮をむいて食卓にならぶ。マイ・ミネラルウォーターをキープして、アルコールティッシュで手を拭き、いただきまぁす!
はふはふ。思っていたより、あんがジューシーだ。かじると中からせっかくのおいしい肉汁が出てきてしまう~。でも、けっこうシュウマイよりも大きいボウズ、一口ではちょっと無理だ。熱いし! 子供たちもお気に入りで、バヤサはほっと安心の様子だ。
第2便が、早くも蒸し始められた。ちょこっと手の空いたダワニャムお父さんがゲルに入ってきた。あ、どうもどうも、お先にいただいてまぁす。バイルマーお母さんがとりわけ皿を用意したので、2人にすすめる。
「おいしいね」
「よくできたね」
と言ってくれているようだ。ダワニャム家の子供たちが戻ってくる頃には2便も蒸しあがり、私たちの食事の終盤には、めずらしく皆がだいたい揃うかたちでのゴハンになれた。
今夜は、私もビールをあけた。モンゴルのビール、その名も「チンギス・ハーン」。ウランバートルで買物をしたとき、飲みますか、と言われ、うんうんとうなづいた。
「どのくらい飲みます?」
と聞かれ、なんとなく
「1日1本くらいかなぁ~」
と答えたので、ダワニャム家の皆さんへのおすそ分けも合わせて、6本くらい購入したのだ。しかし、とっても残念なことに、記念すべき天幕生活初めての夜、楽しみにしていたビールを自粛せざるを得ない理由があった。実は、昨夜、私は大失敗をしてしまっていたのだ。
食事の準備中、ミネラルウォーターが足りなくなり、部屋のすみから取り出す必要ができた。ミネラルウォーターは500ミリリットル入りボトルが12本でシュリンクしてあるのだが、これがけっこう硬いビニール、手で引っ張ったくらいではぜんぜん伸びなくて、ボトルが出せない。仕方ないので、持参したキャンプ用折りたたみの小さいナイフで切ったのだが、せまいゲルで足場が悪く、おまけにタイミング悪く子供がなにか話し掛けてきたりして、油断したスキに、ナイフの先を左手親指の付け根につき刺してしまった。
一瞬のことだったのだが、たいしたこともないだろう、痛みもないし、皆に心配かけたくないと思い、なにも言わずにさりげなくミネラルウォーターを置くと、近くにあったトイレットペーパーをささっとちぎって押さえた。血なんてすぐ止まるだろう、と軽く考えていたのだが、ふと見ると、ゲルの床にぽたんぽたんと血のしずくがたれている。傷口を押さえていたトイレットペーパーは血みどろだ。
え? え? え? なんで!?
ごく小さいケガだと思ったのだが、やっかいなところを傷つけてしまっていたのだ。
さすがに白状するしかない。ぽたぽたたれるほどの出血に、外仕事から帰ったばかりのダワニャム家の皆さんも心配して、覗き込む。片手でトランクをアセアセと開け、薬セットを探していると、ふたを押さえていてくれたり、消毒薬を何度もかけてくれたりと、ありがたいことに頼む先から手を貸してくれる。
バンドエイドを貼ってみたが、あっという間に通気孔から血がにじみ出てきてしまい、粘着力すらなくなってしまう。さすがに、まずいものを感じる私。手を少し上に上げ、手首をぐいっと締めるように握ってみる。湧き水のように、あとからあとから出てきていた血がようやく止まり始めた。皆さんの手助けで、ガーゼを当て、ばんそうこうで固定して、ようやく、ふぅ。
「ダイジョウブですか。これからは私が食事の支度はぜんぶしますから」
とバヤサがほっとした、という笑顔で言ってくれる。ダワニャムお父さんは、自分の手の血管を指しながら、
「ここの血管の真上に刺しちゃったから、血が止まらなかったんだよ。やっと止まったから、もう大丈夫」
と説明してくれた。
いや、マジでひやりとした。こんなときは、一番近い病院って、やっぱりウランバートルか!?とか、私に何かあったら、子供はどうするんだろうとか、帰国できるのか!?とかとか、どんどん悪いほうに考えがよぎっていけない。何ごともなくて、よかった、よかった。
そんなわけで、出血直後、血行促進してしまいそうなアルコール類は、残念ながら自粛、とあいなってしまったのであった。だから、モンゴルに来て初めてのお酒! もちろん、ダワニャムお父さんとバイルマーお母さんにもおススメする。お父さんはもちろん、お母さんもちょっといけるクチらしい。バヤサはお酒はまったく飲まないそうで、今日も暖かい紅茶で、ボウズを食べる。
バヤサが、モンゴルのお酒を買ってきてあるので、それもダワニャムさんにあげてもいいか、と聞く。もちろん、もちろん。
ダワニャムお父さんは上機嫌で立ち上がり、食器棚を捜索、モンゴル式おちょこを出してきてくれた。1つしかないおちょこにお酒をついで、お客さんとしてゲルに来ている私にまず、差し出してくれた。それから、スーテーツァイもスープも入れる万能の小どんぶりみたいな器に、自分とバイルマーお母さんの分を注いだ。
飲んでみなさい、というので、ごくりと飲むと、とたんに口の中がカアァァァッと熱くなる。口から胃までのラインがわかる気がする。うう、けっこう強いお酒なんだなぁ。
「どう?」
と聞かれたので、
「すごく強いお酒ですね」
というと、え、強いかい、とびっくりしていた。強いけれども、味は日本酒みたいだった。さらっとした、ちょー辛口の日本酒といえるか。ダワニャムお父さんに聞くと、米から作るお酒だという。なるほどね、原料が同じだったのか。
ちょこっとお酒が入ったせいか、大人連中はいい気分。ダワニャムお父さんが、
「あなたは日本でもいつもお酒を飲むか?」
と聞いてきた。今は大好きなお酒、でも、学生のころはあまり飲まなかったなぁ~。夫の晩酌に付き合うようになってからだろうか。
「でも、あなた、お酒、好きでしょー。たくさん飲めるでしょ?」
なんて、バイルマーお母さんの軽口まで出る。日本酒も飲んでみてほしかったなぁ。持ってくればよかった。今度来るときは、必ず持ってくるね。私の夫の故郷は、水がきれいで、おいしいお酒を造っているところがありますよ、なんて話題になる。モンゴルで酒盛りするのも楽しいなぁ。言葉がわかれば、いろんな話もできる、きっと、もっともっと楽しいだろうなぁ~。バヤサが通訳してくれるのを聞きながら、しみじみ思う。
気が付けば、外は真っ暗。この4つのゲルでも、ダワニャム家にしかないソーラーシステムによるあかりをつけた。飲んで、食べて、そろそろお片づけをしないといけない。昨日のケガの傷がまだふさがっていないから、日本から持ってきた使い捨てのビニール手袋を左手にはめて、水仕事をはじめる。貯めおきした水がもうずいぶんなくなっている。私たちが来たときには、満タンだったのに。ミネラルウォーターも動員して、ちまちまと洗い物をすませた。
水仕事の話が出たところで、ゲルの暮らしでびっくりしたことをもうひとつ。洗面台があるのだが、これがちょっとおもしろい。水道は通ってないはずなのに、何で洗面台があるの!?と来た当初から気になっていた。蛇口をひねると、夏場の水不足で取水制限中、ってな感じで、チョロチョロと申し訳ないくらいの水が出る。しかし、水はなぜか使っているうちに出なくなる。
実はこの洗面台、後ろにタンクがついていて、そこからホースを伝って水が出る仕組みになっているのだ。排水は、扉の中にバケツを用意してあって、溜まる。あふれる前に、ゲルの外に捨てる。アカネの小さい頃お気に入りだった、水の出るおままごとのキッチンがおんなじ仕組みだったなぁと思い出す。 ここでは、おもちゃでなく、しっかり本物だけど。
泉の水を汲みおいておき、それをひしゃくですくってタンクに入れ、使っているのだ。手洗いも、食器洗いも、はみがき、洗面、うがいも、ぜーんぶこれでする。お洗濯もここでしちゃうんだそうだ。
あの、むっちゃくちゃ汚れたお洋服を、こんなちんまりしたところで洗うのかぁ~と感心してしまう。それも、家族5人分。大変な作業だろうなぁ~。
学生の頃、短期で留学していた異国の学生寮暮らしを思い出す。週末、バスタブでひーひー言いながらジーンズを洗ったっけ。洗うのも大変だけど、絞るのはもっと大変だった。
それ以上のスゴさだな。バイルマーお母さん、えらい! 全日本(不良)主婦代表としては、ただただ、全自動洗濯機サマサマな暮らしに感謝するばかりであった。
片付けを終えて一息ついた頃、バイルマーお母さんがモンゴルの服・デールを着てみないか、と言ってくれた。実は、昼間、お話をしていたときに誘ってもらったのだが、仕事が次から次へとあったこともあり、時間がとれなかったのだ。バイルマーお母さんもデールを着てくれた。2人並んでゲルの一番奥のソファに座り、記念写真を撮る。カメラマンは、ちと頼りないが、ゴウに頼む。大丈夫かなぁ、ちゃんと撮ってよね。
バイルマーお母さんが着せてくれたのは冬用のデールで、綿入れみたいになっているので、かなり暖かい。半袖でもぜんぜん寒くないゲルの中で着ていると、暑くなってくる。涼しい風にあたりたくなって、バイルマーお母さんと一緒に外へ出た。吹き抜ける風が心地よい。
モンゴルの風の音が好きだ。何にもない、平原を吹き抜ける風に吹かれているとき、モンゴルに来て良かったなぁ、と心から思う。ゲルに戻ろうとしたら、先に立って入ったバイルマーお母さんがちょっと待ってね、という。せっかくだからと、ダワニャムお父さんもデールを着てくれるのだそうだ。
着替えが終わるまで、ドアの前で、2人で話をして待っていた。話といっても、お互い言葉はわからないし、身振り手振りばかりがおおげさで、たいしたことはしゃべっていない。でもね、バイルマーお母さんと腕を組んでいるだけで、あったかいキモチが伝わる気がしていた。
モンゴルの人は、大人も子供も、すごくさりげなく、いつのまにか手をつないだり、腕を組んだりする。大人になると、なかなか、お友達同士で手をつないだりしない我々日本人からすると、最初はちょっと、いや、そうとう照れくさい。でも、それもあっという間に慣れる。慣れてしまうと、心地よい。
お互いに目が合うと、まずはにこっとする。これも、ヨーロッパや中近東にはあまりなかった気がする。日本人は、何かっていうと、ニヤニヤしてペコペコお辞儀してキモチワルイなどと言われてからかわれがちだが、モンゴルは日本と同じだなぁとほっとする。
いつのまにか、っていうのもそうだ。日本人も、モンゴル人同様、新しいメンバーが加わったときに、あらためて
「彼は○○さんです。○○さん、こちらは△△さん」
などと紹介するってことはあまりない気がする。いつのまにか輪に入っていて、必要ができてはじめて
「あのー、えぇっと、何さんでしたっけ?」
なんてことがよくあるものだ。
ゲルは基本的にオープンな空間。近所にいるのは、皆、知り合いばかりだから、ノックもせずにいきなり開けて入ってくる。昔の日本にあった、長屋の暮らしってこんな感じなのかなぁと思う。
ダワニャムお父さん、着替えを終えて、私たちを呼びにきてくれた。日焼けした顔に、濃い青のデールがよく似合っている。
大人3人でソファに座り、ちょっとばかり頼りないカメラマン・ゴウのカメラを前にポーズをとる。写真撮影が済んだので、デールを返そうと脱いだとき、ふと思いついて、バイルマーお母さんに許可をもらってアカネに着せ掛けてみた。ほ~ぉ、なかなか似合うではないか!(親ばか?)
かわいい、かわいい、とバイルマーお母さんは喜んでくれ、ちょっと待っててね、というしぐさをしてみせたかと思うと、たんすから子供用のデールを出して、ゴウを呼んだ。
アルゥンボルトの新しいデールがあるから、着てみなさい、と言い、
「え~、オレはいいよ~」
と照れまくるゴウをつかまえ、さっさと着せてくれた。アルゥンボルトがムンフボルトのデールを貸せ貸せと騒いで着替え、2人並んで写真を撮ってくれと言った。もちろん、もちろん!
色違いのデールを着て並んでいると、なんだか本当の兄弟みたいだ。ふふふ。写真を撮り終わると、今度はムンフボルトが交代だ、交代だ、と張り切り、兄弟交代して、ゴウと並んでパチリ。
バイルマーお母さんが、アルゥンチムのデールがあればアカネにも着せてあげられたのに、ゴメンネ、と気に掛けてくれた。いえいえ、充分楽しかったよ!
大撮影大会のおかげで、今夜はちょっとばかりおやすみ支度が遅くなってしまった。皆でデールを片付け、寝床の準備をはじめる。
今日は午後から風が出てきていた。静かになると、とたんに風の音が気になってくる。ヒュウゥゥゥ、というか、ゴォォォォというか。ビラビラと、天井のビニールがはためく音。時折、裏の囲いにいる、家畜の鳴き声が混じる。
曇りはじめて、昨晩より星が少ない。かと思いきや、さぁっと雲が晴れて、あの満天の星空が広がる。でも、それもしばらくのこと、また雲に覆い隠されてしまうのだった。

3つのゲルがダワニャム家とその親戚のゲル群です。

ゲルの裏手は山の斜面になっており、その手前に立派な家畜小屋があります。

このゲルはダワニャムお兄さんのゲルです。

写真の真中下にゲル群の全景が小さく見えます。とても広い、美しい谷が彼等の土地。

モンゴル語ペラペラ

さぁ皆で眠りにつこう、というとき、今夜はなんだかとっても盛り上がっていた。
子供たち同士がお互いに、おやすみなさいは何て言うの、言い出したのがきっかけだった。
おやすみなさい、は「サェハン アムゥルァーレ」。
ムとルのところで、巻き舌になる。なかなか難しい。何度も練習している。
「アカネ、サェハン アムゥルァーレ」
アルゥンボルトが言うと、
「えっと、えっと・・・」
と、つまってしまうアカネ。がんばれ。
「サ、サイハン あぶらーげ?」
「ちげーよ、あぶらげなわけねーだろ」
ゴウのつっこみに、あぶらあげなんて知らないはずなのに、皆、大爆笑になってしまった。
そんなアルゥンボルトも、おやすみなさいは「オァスミナサエ」になってしまい、大ウケされていた。
ムンフボルトがふざけて、いろいろ言ってみては大笑い。まじめなアルゥンチムはなかなか上手、すぐ覚えていた。
どうにもこうにも舌が巻けないアカネ。
ついつい、「あぶらーげ」になってしまうし。
でもね、そう覚えてもいいのかも。ホラ、「ニューヨーク」だって「入浴」でしょ?
「サェハン アムゥルァーレ」
「オヤスミナさーイ」
「うーんと、サェハン アマルスノー!」
あっはっはっはっと、ダワニャム一家、これまたウケまくり。
狙ったわけではないのに、やってしまった私。
これでは、オハヨウゴザイマスになってしまう(「よく眠れましたか」の意だそうだ)。
私の持っていったモンゴル語の本には、これがおはようございます、と書いてあるのだが、バヤサに見せたら、
「えー。普通は、ウニグノ メンデ っていうんですけどね」
とチェックしつつ、書き込んでくれた。
うん、やはり、本で習得するより、現地へ行くべし! 
けれど、モンゴル語ペラペラへの道は険しい・・・。
楽しい夜はふけてゆき、でもさすがに、もう寝ないとね、という感じになってきた。ソファの上にスイッチがあるので、今夜は私が電気を消す。
おやすみなさい。
サェハン アムゥルァーレ。 

ゲルのお引越風景。夏営地は、もっと南のほうだとか。ダワニャム家は5月くらいに移動予定。まずは、お父さんのゲルが移動。朝ゴハンの後、取り壊しはじめて、昼前には、もう、夏営地へ出発していきました。

モンゴルのキュウリはこんなにおっきいんです。日本のキュウリとお味は同じですが、皮がちょっとカタいかな。

昨日引越ししたお父さんの後を追って、今日はダワニャムさんのお兄さん一家が夏営地へ移動します。ゲルをたたむ間、小さい子供たちがやってきました。お兄さんの娘・バルジマ(3歳)です。キュウリが大好きな女の子でした。

荷物を積み終わり、最後にバルジマとバルジマのお母さんが乗り込みました。

山積みのトラック。荷台には、人も乗っちゃうのです。ガタガタの道、落っこちないのでしょうか!?

遠ざかるトラックを、いつまでも見送っていました。

お引越し

アカネお気に入りの牛肉サラミをバター炒めにすることにして切っていたら、突然、若いお母さんが布でぐるぐる巻きになった赤ちゃんを抱いてダワニャム家のゲルに入ってきた。
バイルマーお母さんがさっと立ち上がり、赤ちゃんを受け取り、奥のひとり掛けソファにそっと寝かせた。
後から、小さな女の子がちょこちょことついてきていた。
バヤサが通訳してくれたところによると、お隣のゲルがお引越するので、準備の間、子供たちを預かるのだという。
昨日は、そのまたお隣にあったダワニャムさんのお父さん(=アルゥンチムたちのおじいちゃん)のゲルが、南の夏営地へ引越していったが、今日は、ダワニャムさんのお兄さんのご一家が同じように引っ越していくそうだ。ということは、この女の子と赤ちゃんは、ダワニャムさんの姪と甥、ということになる。
女の子の名前を聞くと、「バルジマ」といった。3歳だそうだ。
朝の支度で忙しいバイルマーお母さんに代わり、アルゥンチムが赤ちゃんの世話をしていた。
ムンフボルトがちょろちょろするバルジマを追いかけて歩き、抱っこしたり、遊んであげたりしている。
いつもは甘えん坊の末っ子ムンフボルトも、このときばかりはなんだかお兄ちゃんに見える。
はじめは、私たちガイジンのお客に不審そうな目をしていたバルジマだったが、やがて、慣れてきたのか、バヤサがサラミを切っているそばからサラミを取って食べ始めた。それから、だんだん取ってきては皆に配って歩くという「遊び」になっていった。
せまいゲルの中で刃物を使っているときに、小さい子にちょろちょろされると、どきっとすることがある。
私たちは、目を離せなくなった。
そんなことはおかまいなしのバルジマ、今度は、スライスしたキュウリに興味を示した。
皿からもっていっては、うろうろしながら食べ、食べ終わるとまたやってくる。
引越仕事の手が空いたのか、バルジマのお母さんがゲルにやってきて、生後3ヶ月の下のぼうやにおっぱいをあげはじめた。
その間にもバルジマはせっせとキュウリをつまんでいる。よく食べるなぁ。さっきは、ヨーグルトを食べていた。お母さんが弟の世話でかまってくれないからか、甘えてアルゥンチムにあ~んしてもらって。
モンゴルのキュウリはやたらと大きい。太さも長さも、日本のキュウリの2~3倍はある。
なのに、むけどもむけども、お皿にはたまっていかない。バルジマがむくはしからせっせと口に入れていくからだ。
「キュウリ、すきだねぇ~」
アカネが感心したようにつぶやいた。
そして、ついたあだ名が「キュウリマン」。こういう失礼なあだ名を考えつくのは、ゴウだ。
「だって~キュウリばっか食ってんじゃん」
まぁね。そうなんだけどね。
かわいいバルジマ、ごめんね、帰国してからも、あなたはキュウリマンって言われてるよ。
写真を見ながら、懐かしく思い出す顔のひとつになったことはたしかなので、それに免じて許してほしい。
ささっと食事をすませて食器をまとめていると、バルジマたちがいよいよ行ってしまうようだった。
外に出てみると、からっぽだったトラックは荷物満載。日本だったらまちがいなく積載量オーバーでおまわりさんにつかまってしまうような状態だ。さっきまであったゲルは、跡形もなく、なくなって、バラバラのパーツに分解され、トラックに載っている。人海戦術であれよあれよという間にこうなるのだから、感心してしまう。若い男性陣は、その崩れてしまいそうなくらいの荷物のてっぺんに乗っている。
それもなんだか気持ちよさそうだ。
お別れの挨拶に出た私は、ふと思い立って、ダッシュでゲルに戻り、おみやげにと持ってきた髪飾りを取って来、子供たちはポケットに入れていたキャンディを、バルジマに手渡した。
女性たちは、運転台の席に座り、両手におみやげをぎゅうっと握り締めたバルジマが最後に抱っこされて乗り込んだ。
トラックは砂埃をもうもうあげて走り去っていった。なだらかな道をうねるように進んでいくので、いつまでも見える。みんなで、豆粒のように小さくなるまで見送った。

「お待ちかね、乗馬タ~イム! ・・・が、しかし、モチロンなにかの仕事をしながら。今朝は、なくなってしまった水を汲みに、ゲルから1キロくらい離れた昨日の泉まで行くのが朝一番のお仕事です。」

泉に到着。

男の子たちは、サボりぎみ?

ダワニャムお父さんが手伝いに来てくれました。

「おれも水汲み、てつだってやるよ」

大きなポリタンクにたまったので、ダワニャムさんが持って帰ってくれることに。

水汲みがすんだら、今度は放牧です。ようやく1人で手綱を持たせてもらえ、気分は遊牧民少年!

アカネもちょっとだけ、手綱を持たせてもらえるようになってきました。

でもやっぱり長いこと1人で乗せてはもらえないんだなぁ~。心配してくれてのこととはわかるけれど、くやしいアカネです。

ゲルに帰還!

ダワニャムさん事件

ゲルに戻って、休む間もなく、私たちは水汲みに出かけることになった。
ダワニャムお父さんが、馬で行っていいよ、と言ってくれたので、ゴウとアカネは大喜びした。
でも、馬は1頭、白馬のハリオンだけ。ダワニャムお父さんのご指名で、またも乗馬のチャンスを得たゴウがゴキゲン、満面の笑顔でハリオンにまたがった。アルゥンボルトとムンフボルトがかわるがわる引いてくれる。
ちょいとぶすくれたアカネも、機嫌を直して、アルゥンチムと手をつないで出発した。帰りは交代しなさいよ、と私がゴウにきっちり約束させたからだ。
水を入れる入れ物は、20リットルくらいの大ポリタンク1つと、水筒サイズの小ポリタンク2つ、それに、「アルプスの少女ハイジ」に出てくる牛乳入れみたいな、アルミ製(?)の大きな入れ物が2つ。
みんなで手分けして持っていく。
あいかわらず仲良し女の子組・アルゥンチムとアカネが、小ポリタンク同士をぶつけて、ボコンボコンという音をたてて遊び始めた。やがてアルゥンチムは私の持っている大ポリタンクにもぶつけてきて、みんなでわいわい大笑いしながら歩いていった。
おちゃめなアルゥンボルトは、昨夜の「オヤスミナサイ」がなぜか気に入ってしまったふうで、
「オヤスミナサイ、オヤスミナサーイ!」
と、大声で言っている。
「ボルト(アルゥンボルトの短い呼び方)~、今はもう朝だってば~」
というゴウのつっこみなんか、おかまいなし。
そんなふうに歩いていくと、ゲルから1キロちょっとはあろうかという泉までの道のりも、あっという間だった。
泉、といっても、そこは遠くから見ると、小さな残雪地帯にしか見えない。近づいてみると、雪は思ったより水を含んだ解けかけの雪で、コポコポという音がするところの下には、こんこんと水が湧いている。
残雪地帯のあちこちに、家畜が排泄したあれこれがあり、お世辞にもきれいな水、とはいえなそう。 でも、彼らは、注意深く湧き出している場所を見つけ、そこから汲むんだと教えてくれた。
ゲルで使っているひしゃくですくい、草などのゴミが入っていないかたしかめてから、牛乳缶に入れていく。
水は凍りつきそうに冷たい。
大きな缶が少しずつ水で満たされてきたころ、ハリオンを少し離れた低木につなぎにいっていたアルゥンボルトが
「ママ!」
と私を呼んだ。
ゴウとアカネが私のことを「ママ」と呼ぶので、彼らもいつの間にか私を「ママ」と言っているようなのだ。
アルゥンボルトは、ゲルの方向を指差し、
「ダワニャムさん! ママ、ダワニャムさん!」
と叫ぶ。
顔を上げたアルゥンチムとムンフボルトも、私を立たせてゲルのほうを指差しながら、
「ママ、ママ、ダワニャムさん、○%×&▲*?☆●@△!」
と、口々に言う。
「???」となる私。モンゴル語はまったくわからない。
ゲルに続く長い一本道を見やると、遠くからホンゴルに跨ったダワニャムお父さんが、颯爽とこちらへ駆けてくるではないか。
「ママ、ダワニャムさん」
もう一度、アルゥンチムが言う。
ダワニャムお父さんが水汲みの助っ人に来てくれたのだった。ようやく理解する私。
・・・でもね、なんかちょっとヘン。
だって、アルゥンボルトたちが、他人の私を「ママ」と言い、自分たちの実父のことを「ダワニャムさん」と言うんだもの。
う~ん、これでは、私ったら、5人兄弟姉妹のママみたいじゃない。でも、ぜんぜん違和感ないしなぁ。おもしろいなぁ~。
思わず、くすくすと笑いがこみ上げてくる。ゴウとアカネも不思議そうにしている。
「アルゥンボルトたちは、ママのこと、『ママ』っていう名前だと思ってるのかな?」
「オレらが自分たちのお父さんのことを『ダワニャムさん』て呼ぶから、わかりやすく言ってくれたのかもね」
さすが!子供たちのほうが、感覚でわかっているらしい。
ダワニャムお父さんは、牛乳缶になみなみと入った水を、全部、大ポリタンクにざぁっと移し変えた。
それから、子供たちになにやら指示すると、満タンですっかり重くなった大ポリタンクを手際よくホンゴルの鞍に乗せ、自分は鞍の後ろにじかに跨り、鮮やかな手綱さばきで、ゲルへ帰っていった。
残された私たちは、再び水汲みをはじめ、残った入れ物がすべて満タンになったところで、ゲルへ戻ることになった。
帰りは、お待ちかねのアカネがハリオンに乗る番だ。ポクポクとゆっくり歩きのハリオンに跨ったゴキゲンなアカネと、張り切って手綱を引くゴウ、重い水の入れ物をさげた私たちは、帰路につく。
行きはよいよい、帰りは何とやらで、水ってほんっとに重いっ。
揺らしすぎるとたっぷんたっぷんいってこぼれてしまう。でも、どうにもこぼさずに運べない。
暑くて暑くてがまんできず、ダウンジャケットを脱いで腰に巻いた。ふぅ。
行きの何倍にも遠く感じるゲルまでの道を、ただ、黙々と歩き続ける。
一緒に牛乳缶を持っているアルゥンチムが何か話しかけてくれるが、返事をするのもやっとなほどだった。
馬に乗ってのんきなアカネがうらめしいくらい。
そうして、ようやくゲルに戻ったときは、腕はしびれてふるふる、息はあがってゼイゼイ、という、かなりよれよれな姿になっていたのだった。
出迎えてくれたバイルマーお母さんは、
「アリガト、アリガト」
と、笑顔で肩を抱いてくれた。
洗面台横の大きな貯水用のタンクに水を移すと、こんなに頑張って運んできたというのに、半分にもならないではないか。
私たちが来た日には、ほぼ満タンだったっけ。あっという間に使ってしまった水だけど、こんなに苦労して運んできていたものだったのだ。
蛇口をひねれば、いくらでも出る水、それを当たり前だと思っていたけれど、そうじゃないんだなぁ・・・。

今日もヤギの放牧へ出かけます。こんな広い谷、崖・・・、ここを歩きまわって放牧するんですよね。彼らは息も切らさず歩きます。日ごろの運動不足が身にしみます・・・。

タルバガンの穴だって!ダワニャムお父さんが教えてくれました。中を覗いてみたけれど、タルバガンの姿は見えませんでした。今の時期は、まだ穴の奥のほうにいて、めったに出てこないんだそうです。

ダワニャム家の子供たち、オラカ、そして私たちだけでの放牧を終え、ようやくゲルに帰還すると、お客様はもうすでに到着していました。いとこか?はとこか?とにかくたくさんの子供たちもいて、アルゥンボルト(ボルト)とムンフボルト(ムンフーシェ)も、さっそく遊びに入っちゃいました。

ひと仕事終えたばかりのホンゴルも休む暇はなさそう。ちょっと大きな親戚のお兄ちゃんに乗っていかれてしまいました。どの子も、すごい手綱さばき!さすが!

南の低木地帯へ遊びに出かけるみんな(この写真の左側が低木地帯)。一緒に来ないか、とゴウとアカネも誘ってくれましたが、まだ危ないというバヤサの意見もあり、私が止めて、お留守番させることに。おもてなしのお手伝いがあるアルゥンチム(アルカ)と、小さいオラカも居残り組です。

お客様も一緒に、女性陣総出でお昼ごはんを作りました。みんな席について、ランチパーティの始まりです!

お客様は、エルデネソムに住む、バイルマーお母さんのご親戚一同。遊びに出かけている連中も含めると、いったい、何人いらしたのやら、わかりませんでした。

ただでさえそんなに広くはないゲルの中は、もうぎゅうぎゅう。でも、みんなでこうやって寄り添って座ると、妙に親近感わくなぁと思うのは、私もアジア人だからでしょうか?家族、親戚、そんなものが薄れがちな現代日本の生活、ちょっと懐かしい気持ちを味わうことができたひとときでした。

モンゴル遊牧民の料理・レーズンピラフをいただいたので、私たちも、日本の食事を紹介したいなぁ。お昼に炊いたゴハンが残っているのを思い出し、急遽、おにぎり作成! すすめてみました。お味はいかが?

楽しいひとときの終わりは、突然やってきました。おもむろに立ち上がり、お帰りになるそうで、ゲルの外へお見送りに出ました。

ロシア製のジープは、かなり年季が入ってます。大丈夫なのかなぁ。というより、この人数、全員、乗れるの !?どうみても、定員オーバーなんですが・・・

なんとか乗れちゃいました。すごすぎ。しかし、なかなか、エンジンがかかりません。ダワニャムお父さんがぐぅっと押し出して、ようやくエンジンがかかり、発車!砂埃の道をエルデネソムめざして帰っていきました。

突然のお客様

水がきたので、ようやく、朝ごはんの片付けができる。
バイルマーお母さん、アルゥンチム、バヤサと私で、さっそく作業にとりかかった。アカネもタオルで拭いてくれる。
やっと終わったと思ったら、もうお昼の準備をしなければならない。なんだか、時間はあっという間に過ぎていく。のんびりした遊牧ライフを想像してしまいがちだけれども、実際にはやるべきことがてんこ盛りだったりするのだ。
ダワニャムお父さんが、乗馬できますよ、とすすめてくれたのだが、私もなんとなく手が離せず、困ってしまった。子供たちだけ出すわけにもいかないし。
とりあえず、お昼の支度を後回しし、子供たちとバヤサと一緒に、ちょこっと放牧についていくことにした。
バヤサは、後は私がやっておきますから行ってきて、と言ってくれるし、事実、本当にいろいろやってくれる。
これが子連れのめんどうなところで、雑事が多く、ありがたく甘えることも多いけれど、お手伝いさんではないから、家事雑事任せっきりにしては申し訳ないし、第一、彼女がいないと込み入った会話ができない。
今回は、おととい上がっていった丘の手前までヤギたちを連れて行くことになった。
低木の茂みを馬で、歩きで進む。すごく乾燥しているからだろうか、冬枯れた木は枝がするどく、目に刺さったらと思うと、ちょっとこわい。
馬は、足が痛くないんだろうか。バリバリと音を立てて分け入っていく。馬の目の高さの枝は、先を行くダワニャムお父さんが、バキバキと折りながら進んでいった。
茂みを抜けた岩場で、ダワニャムお父さんが呼び止める。近寄ってみると、石わくで囲われたような穴がある。
大きさは直径10~20センチくらいだろうか。いくつか、点々とある。
「ここにタルバガンがいる」
と、ダワニャムお父さんが教えてくれた。
「タルバガン」。
ガイドブックで見ると、大型のネズミのような動物だ。モンゴル人は、これを食するそうだが、また、同時にペストを媒介することもある、とも書いてあった。
この時期には、まだ穴の中で過ごしているが、5月くらいになったら、地上に出てくるとのことだった。
皆でかわるがわる穴を覗き込んでみたが、残念ながらその姿を見ることはできなかった。
この穴、けっこう深いので、馬の足がハマってしまうことがある。
カッポカッポとのんびり歩いていると、突然、ガックン!となる。そういう時はたいがい4本足のどれかがハマっているのだ。ぼけ~っと乗っているとあわててしまう。
丘の手前で、ダワニャムお父さんが私たちになにか言い、バヤサが通訳してくれた。
どうやら、ダワニャム家のゲルにお客さんが来ることになっていて、もうすぐ到着なんだそうだ。
私はこれで先に家に帰らなければならないけれど、いいですか、と言う。
大丈夫、みんなでヤギを放してから、ちゃんと戻りますよ、と言うと、ほっとしたようにゲルへの道を歩いて戻っていった。
ダワニャムお父さんと別れて、再び、枯れた低木の中を進むと、ようやく丘のふもとに出た。
おととい、ダワニャム家の子供たちとみんなで登った断崖ともいいたくなるような岩場が、はるか上に見える。
ここで、馬を下りるように言われ、ゴウとアカネが下りると、丘に登っているように言われた。
アルゥンボルトとムンフボルトが代わりに馬たちに乗って、遠くへ駆けて行ってしまった。
「???」となる私たち。
ヤギたちもかなり離れたところへ行ってしまっているし、丘に登るってなんでなのかな・・・?
バヤサに聞いてみても、皆が丘を下りてくるころには戻るからと言っていた、とのことで、やはりよくわからない。
う~ん・・・う~ん・・・。
ま、いいか。深く考えてもしかたないので、登ることにした。
おとといより、さらに風が強い。コンタクトレンズの目にはちょっとつらいかな。
気のせいか、おとといより、少しだけ楽に登れたような? 体が高地に慣れてきたのだろうか。
それでも、ハァハァ息が切れてしまうけれど。
丘に登ると、やっぱり、上から見下ろす風景はなんともいえず爽快! 
下にいるよりいくぶん強く感じる風に、汗がすぅっとひいていく。
遠くに小さく、ダワニャム家のゲルが見える。
低木の茂み近くに、ハリオンとホンゴルに跨ったアルゥンボルトとムンフボルトが見える。
そろそろ、下りようか。
アルゥンボルトたちと合流して、ちょっとみんなでひと休み。
ペットボトルやパックジュースを飲んだり、キャンディを食べたりした。ちょっとしたハイキング気分だ。
さてと。
丘を下りて、再びゲルに戻る。
そういえば、今日はいつものようにお隣りのオラカがついてきているのに、お姉ちゃんのナーランガーランの姿が見えない。
オラカに聞くと、今朝、エルデネソムの学校へ行ってしまったという。お休みが終わり(春休みがあるのかな)、また寮生活に入るのだそうだ。次に会えるのはいつ?と聞いたら、土日は休みなので、迎えに来られる子は毎週末ゲルに帰るし、来られない子は夏休みまで寮で暮らすし、それぞれの家庭の事情で違うのだとか。
ナーランガーランは、どうしているのだろう。もしかしたら、次の休みまでゲルには帰れないのかもしれない。うっかりして、お別れも言えなかったなぁ。
帰り道は、主にアカネがハリオンに乗っていった。
ダワニャム家はもうすぐ。まっすぐな道をみんなで歩いていった。万歩計をもってくればよかったな。
普段の生活では考えられないくらい歩いている。
ゲルに到着すると、すでにお客様は見えていた。
ただでさえそんなに広くないゲルは、人でぎゅうぎゅう。座れるところには、どこでも座るという感じだ。
男性軍団はタバコをふかしながらおしゃべりに興じている。バイルマーお母さんと、お客様のオバサマがたはみなでせっせとお昼支度だ。
お客様は、エルデネソムに住んでいるバイルマーお母さんの弟夫婦と、親戚友人一同だという。
ダワニャム家の子供たちからすればいとこなんかにあたるのだろうか、下は小学生から、上は高校生くらいの年頃の子供がたくさん来ていて、皆、外で遊んでいる。
帰ってきたばかりのハリオンとホンゴルも、あっという間に彼らが乗って行ってしまった。
アルゥンボルトが、親戚の子らと、ゲルの南に広がる低木地帯のほうへ行くので、ゴウとアカネも一緒に行かないか、と誘ってくれたが、お昼の支度があるから私やバヤサはついて行けない。
慣れていないと危ない、とバヤサが止め、私も、帰ってきたばかりだからゲルでひと息つくように2人に言い聞かせた。
いつもよりささっとゴハンを済ませて、片付けもそこそこに席を空けた。
子供たちも、裏の家畜小屋あたりで遊んでいる。お母さんのお手伝いのために家に残っていたアルゥンチムやお隣りのオラカなんかと一緒に、仔ヤギをかまったり、追いかけっこしたりしているようだ。
ゲルの中では、ようやくおもてなしの料理ができた。バイルマーお母さんが、大皿何枚かに分けてレーズン入りの甘いゴハンを盛り付けはじめたので、私たちも配膳のお手伝いをした。
小皿はそう数がないので、カップやら、小鉢やら総動員だ。
いつものように、「いただきます」と一斉にではなく、できた物から、食べられる人から、適当にお食事タイムが始まっていた。家畜の世話をしていたダワニャムお父さんもいつの間にか帰宅して、食事の輪に加わっている。
メニューは、先のゴハンのほか、野菜とヌードル入り干し肉のスープと、煮こごりみたいなもの、揚げ菓子だ。
やっと台所仕事に区切りがついたバイルマーお母さんも食卓につき、ゲルのすみでミネラルウォーターを飲みながら話をしていたバヤサと私にも、よかったら食べないか、と勧めてくれた。昼ゴハンがすんだばかりで、おなかぽんぽん状態の私、ちょークルシイ。でも、せっかく遊牧民のゴハンをいただいてみるチャンス。一口だけ、ゴハンの味をみさせてもらった。
おいし~い! レーズンの甘みがお菓子のようにも感じるゴハンだ。カレーかけても意外とおいしいだろうな。
そういえば、夫のふるさとでは、甘味が好まれる文化のようで、栗おこわなどちょっと甘くして炊く。
東京生まれの私は、最初、かなりびっくりしたものだけれど、慣れるとそれがおいしくなる。
ちょうどそんな感じのお味かなぁと思った。後をひくなぁ~。さすがにもう入らないけど。
しまった、お昼、少なくしとけばよかったよー。バヤサもティーカップ1杯もらって食べていた。
しからば、と、私たちも、昼に炊いたゴハンが残っていたので、おにぎりを小さく作り、すすめてみた。
チャレンジャー(?)なオバサマが手をのばす。のりをまいただけのシンプルな塩むすびだ。
不思議そうな顔をする人、おいしい!と言ってくれる人、いろいろだったかな。
飲んだり、食べたり、おしゃべりしたりの時間が過ぎ、おもむろに彼らは立ち上がって、いとまごいの挨拶をはじめた。
それから、持ってきたお土産があるから、子供たちにもあげていいか、とバヤサを通じて話しかけてきた。
日本では、着いたところでお土産を渡すことが多いけど、彼らは帰りがけにするのだろうか。文化の違いか?、などと感心している間に、私にまでいただいてしまった。韓国製のキャンディとチョコバーだった。
私たちも、お返しに、日本のキャンディを配る。お菓子、それも、甘いものは、モンゴルに来て、誰にあげても喜ばれた。
ゲルの外に見送りに出る。乗ってきたのは、年季の入りまくったロシア製のジープ。
乗り切れるのか!?というくらいの人数だったが、車はこれ1台きり。え~ッ、と目を丸くしている間にわらわらと乗り込み、ムギュムギュ状態、それでもなぜかドアはきちんと閉まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
これであのでこぼこ道を帰るのかぁ~。
ダワニャムお父さんが思いっきり車の後ろを押して、ゲルの前の軽いスロープを使いながらようやくかかったジープのエンジンは、なんとなーく頼りない音を立てながらも、なんだかマンガみたいな動きをしながら、よろよろと丘を越えて、エルデネソム目指して走り去った。

放牧に行くのを外で待つゴウ、アカネ、バヤサ。風が強くて、目を開けるのがつらい~

「テロリストみたいじゃん」。たしかに、アヤシイヒトかも。

午後の放牧は、泉の向こうへ行くことになり、ダワニャムお父さんのご指名で、ゴウがお供することに。がんばれ、遊牧民見習い! 先にゲルに戻って待っていた私たち。遠くに2人の姿が見え、ほっとしました。

だんだん、だんだん・・・

近づいてきます。ダワニャムお父さんの助手を立派に勤め上げたとのこと。母は感涙デシタ。

馬から下りる姿も、ちょっとサマになってきたかな。自信を持てたのか、ちょっぴり、たくましい顔になっていました。無事で何より。

ゴウ、放牧に行く

さて、お待ちかねの乗馬タイム到来、と、子供たちはわくわくだった。
ダワニャムお父さんの仕事が終わるまでの間、こういうときばかりはさっさと支度する子供たちが待ちかねて外にいた。まきにするための木を積んだところに座っている。
今日はかなり風が強く、サングラスをしていても目に砂埃が入ってくるし、寒い。ネックウォーマーを鼻の上まで引っ張り揚げて、帽子を目深にかぶり、サングラスなんてしていると、なんだかとってもアヤシイヒトみたい。
ダワニャムお父さんがやってきて、ヤギたちを放牧をしながら馬に乗せてくれた。シツコクねだったおかげか、途中からゴウがひとりで手綱を持たせてもらえて、えらくゴキゲンだ。遠慮してなかなか言い出せないアカネは誰かが引いてくれるままで不満の様子だったが、勇気を出してお願いしてみたものの、許可はでなかった。
低木地帯を一巡りすると、いったんゲルの前を通り、今度は水を汲みに行く泉のほうへ向かう。
結構な距離になるので、ゴウよりは馬に乗せてもらえず歩く量が多いアカネは、足が痛みはじめていた。
私が馬を下りて、アカネと交代する。
ようやく泉について、一行は休憩となった。
と、そのとき、ダワニャムお父さんが私になにか話しかけてきた。ここから少し遠くまくまでヤギを放牧に行くのだが、私(=ダワニャムお父さん)とゴウとで
行っていいか、と言っているといい、通訳してくれたバヤサが心配していた。
「行かせていいのですか? 大丈夫でしょうか? 私はまだ危ないと思う」
もちろん、ゴウは大張り切りだ。ちょうど乗馬のコツを得てきた所で、上手になった。けれど、どうだろう。
こういうときが、油断を誘っていちばん危ない。
「ゴウ、ダワニャムさんの言うことをちゃんと聞ける?」
「ふざけないで聞かなくちゃだめだからね?」
きっちり念を押して、私はダワニャムお父さんにお任せすることにした。
調子に乗りやすいゴウのこと、心配はつきない。けれども、ここぞと言うときの対処はできるだろう。
ダワニャムお父さんも、あまりにもダメそうならそんなことは言い出さないに違いない。きっとこれはまたとないキャンスなのだ。
まもなく、散らばり始めたヤギをまとめながら、鮮やかな手綱さばきでダワニャムお父さんが出発した。
ヤギの群れの後を、めずらしく神妙な面持ちのゴウが追っていく。
外れたヤギを追い立てながら、一所懸命、ダワニャムお父さんのほうへ進んでいった。
群れはどんどん遠くなり、小さく見えていた隣(と言っても何キロも離れていると思う)の集落をこえてさらに遠くへ消えていった。
見えなくなると、不安が押し寄せてくる。・・・これでよかったんだろうか。
出発してしまったものを思い悩んでも仕方ない。
アルゥンボルト、ムンフボルトと、バヤサ、それから疲れと自分を選んでもらえなかったので泣きそうなアカネと一緒に、ゲルへ帰る道を歩き出した。
「ねぇ、ママ。なんで私は連れて行ってもらえなかったのかな? いっつもゴウくんばっかり・・・」
どちらかといえば、我慢強く、不満は飲み込むタイプのアカネが、涙をポロポロこぼした。
「そうだね・・・」
説明する言葉がみつからない。
「きっとさ、放牧は男の子のお仕事なんじゃないのかな。ゴウくんをひいきしてるんじゃなくて、役割分担なんだと思うよ?」
「でも! ずるいよ・・・」
私もうまく言ってやれない自分を責めていた。バヤサは、通訳として文句なくいい仕事をしてくれている。
けれども、やっぱり、人を介して伝えるというのは、とても難しい。
これが、まるっきり観光客相手の商売としてやっているゲルステイなら、こちらの希望通りになるようにしても、ある程度は許されると思う。しかし、このツアーの目的は「私たちが遊牧民の中に入る」こと。
リゾートではない旅の醍醐味でもあり、つらいところでもあるというのを、子供であっても、受け止めてもらわねばなるまい。
男の子は放牧、女の子は家の仕事と、役割分担がきっちりなされているモンゴルの遊牧社会に触れ、 こんなふうに戸惑うこともあったのだ。

アルゥンボルト(ボルト)に抱っこされて放牧から帰ってきた仔ヤギ。お母さんヤギがペロペロとなめてやっています。

産まれてからまだ1時間も経っていないのに、もう立つことを覚えなければなりません。何度も何度も頑張っているけど、すっくと立つことができず・・・。お母さんヤギが、鼻でぐいっと押して、促しています。

お、立った、立った♪

別のヤギの出産が始まるようです。ゲルにいるバヤサにも見せたくて、大急ぎで呼びに行きました! はやく、はやく!!

メェェェェ!といきんでいますが、なかなか生まれる様子がありません。ダワニャムお父さんが、やっと出始めた子供をそっと引っ張って・・・

ヒチェゲレー(がんばれ)!!

羊膜に包まれた仔ヤギが出てきました! やったぁ~!

ヤギの出産

私たちがダワニャム家のゲルを訪れたとき、幸運にもヤギの出産に立ち会うことができた。
4月1日に私たちが到着したとき、すでに生まれて1週間になっていたオスの仔ヤギは、「オーガナ」と呼ばれていた。大地、という意味だそうだ。
今年初めて生まれた仔につける名前だと言われた気がする。
だから、もしかしたら、本名じゃないのかもしれない。
長男or長女、あるいは、第1子などというような意味でつけるもので、個体の名前ではない可能性も高い。
「初子(ういご)」という言葉がふっと頭に浮かんだ。
大地という名の初子。
モンゴル遊牧民の精神世界にちょっと触れたような気がして、私は、訳もなくなんだかどきどきしてしまった。
ダワニャム家での滞在3日目。
夕方、私たちが乗馬の練習でゲルの周りをうろうろしていると、バイルマーお母さんとアルゥンチム、アルゥンボルト、ムンフボルトの三姉弟が、ヤギを放牧している山のほうへ向かって歩いていった。
ぼちぼち、ヤギも帰ってくる時間、もうすでにオーガナのママ・チェチカなど、数頭はゲルの近くへ戻ってきていた。
「どこへ行くんだろうね?」
アカネもアルゥンチムを先生に、ゲルの周りで乗馬をたっぷり練習させてもらい、それなりに乗れるようになって気が済んだようだ。
ハリオンをゴウと交代したので、私もホンゴルに跨っておとな気なく(?)ゴウと乗馬の技術を競い合っていたら、バイルマーお母さんと男の子たちがゲルの裏山をずんずん登っていく姿が見えた。
ほどなくして、アルゥンボルトが何かを、そぉっと大事そうに抱えて、帰ってきた。
「生まれた、生まれた」と言っているみたいだ。
どうやら、朝、放牧に出すとき、すでに出産状態に入っていたので、途中で生まれているのではないかと、皆で迎えに行っていたらしい。
ボルトが抱えていたヤギは、真っ黒い、まだ羊水でびしょびしょの仔ヤギ。
力強く、でもまだ、きちんと鳴けず、ンメ、ンメと鳴いている。
私たちは思わず、技量も考えず、けっこうな急坂を馬で駆け上がった。
かわいい。かわいい!
囲いに入れてやると、お母さんヤギが一生懸命、仔ヤギの体をなめはじめた。
他のヤギやらウシやらがわらわらと近寄ってくる。
ゴウやアカネはそれが気になるらしく、ヤジ馬ならぬ、ヤジ牛散らしに忙しい。
仔ヤギがあまりに立たないので、ダワニャムお父さんがおしりをちょっと押してやる。
おぉ、立った!・・・と思ったら、ぺたん。
あらららら~。
なかなか立たないもの。
またしばらくなめてもらって、お母さんヤギに鼻で押されて、よっこらしょ。
・・・ぺたん。
しばらく時間がかかりそうだ。
そして、そんなとき、なんともう一匹のヤギの出産に出くわした。
柵の端っこのほうで、黒ヤギのお母さんのメェェ~、メェェ~という苦しげな声がする。
そばには、去年生まれたという茶色い娘ヤギがぴったりと寄り添っていた。
まるで、母を見守っているようだ。
がんばれ。
がんばれ。
・・・ヒチェゲレー!
覚えたてのモンゴル語が、つい、口をついて出た。
ダワニャムお父さんとバイルマーお母さんがくすくすと笑う。
ヘンかなぁ、私? それとも、違ってる!?
でも、応援せずにはいられないから、もうなんでもいいや!
ヒチェゲレー、ヒチェゲレー、お母さんヤギ!
なかなか生まれない。
ダワニャムお父さんがたまりかねて、おしりから風船のように出ていたものをずるりと引っ張る。
仔ヤギが出てきた!
びろんと張り付いている羊膜を軽くはがしてやると、お母さんが優しくペロペロとなめはじめた。
よかった、生まれた、生まれた。
お母さん似の真っ黒くて、くりくりの毛をした赤ちゃんだ。
ダワニャム家の今年の仔ヤギ3兄弟。
オーガナと黒いチビちゃん3匹が元気に育ちますように。
モンゴルの大地のように、おおらかに、たくましく。

翌朝。一晩中降り続いた雪で、あたりはすっかり銀世界!

これは、なんといったかな。乳製品だって。バヤサは、おかずになるって教えてくれた気がしますが、ちょっと自信ないデス。牧場のおみやげなんかにある「ミルクケーキ」みたいな感じかな、と思ったけれど、食べてみると、もっと酸っぱい感じでしたね。固形ヨーグルト!?

寒いので、覆いをかけてあげていますね。

通りすがりの遊牧民。ライフルを持ってどこへ?

動物のニガテな娘も、すっかり慣れました!

別れがつらいね・・・

朝起きたときには、けっこう積もっていた雪。かなり降っていたようだけれど、乾燥していてサラサラの雪なので、強い風に飛ばされてしまい、あっという間に乾いた土の草原に戻ってしまいました。

いつも暖かい火を燃やし、名実ともにゲルの「中心」ストーブも、今日は朝から火をおとしているので、室内もひんやりしてきました。ヤギに着く虫を退治するために、マッチで火をつけました。黒い、ちっちゃいのがそうなんですが、見えるでしょうか?髪の毛の中に入り込んできて、もぞもぞするんですよね。夏になるといなくなっちゃうそうです。

アカネの髪飾りは、アルゥンチム(アルカ)とおそろい。日本からお土産に持ってきたものです。離れてもずっと、友達だよね。

なかなか迎えが来ないので、外で遊んでいました。「だるまさんがころんだ」をやろう!

「だ~る~ま~さ~ん~が~こ~ろ~ん~だ!」

おちゃめなポーズの3人。

バヤサにもすっかりなついてました。

オラカのおうちの人たち。お別れに出てきて、いつまでも、手を振って、見送ってくれました。また会いましょう!

ダワニャム家のゲル、すっかり遠くなってしまいました。

エルデネソムに到着。ここで、ダワニャム家のみんなともお別れです。ぎゅうぎゅうの車で、ガタガタの道を進んできたので、車酔いしたり、寝ちゃったり。目が覚めて、突然のお別れで、ボーゼンとしてます。

ダワニャム姉弟が通っているエルデネソムの学校。小・中が一緒になっているそうです。

さよなら遊牧生活

夜はずっと雪が降っていた。
天窓のビニールにさくさくと軽い音をたててふりつもる雪の音を聞いているうちに、いつしか眠りについていたようだった。
お約束の夜中トイレもなく、ゲル滞在最後の晩にしてようやくぐっすり眠り、夜が明けた。
朝、外に出てみると、一面真っ白な雪景色!
「モンゴルの草原には、一日の中に四季がある」と書いていたガイドブックがあったっけ。
本当にその通りだ。
今日は、いよいよ帰国の日。あっという間の遊牧民ライフだったなぁ。もうじきお別れとなるダワニャム一家、この草原のゲル、ヤギ、ウマたち。ちょっとしんみりしてしまう。
荷物を片付けながら、朝ゴハンをとる。今日は、鍋やら食器やらもきちんと洗ってパッキングしないといけないから、煮炊きせずに、パンとお茶で簡単に朝食をすませた。
迎えの車は、10時すぎに来ることになっているとバヤサが言う。それまでに、片付けを済ませなくてはならない。
ダワニャム一家は、いつものように、ウシの乳搾り、餌やりと忙しい。そして、今日から1日遅れで新学期の学校に向かう姉弟の身支度もある。本当は今日が始業式(なんてものはあるのかな?)なんだが私たちのウランバートルへ戻る日程に合わせて、お休みにしたのだという。
バイルマーお母さんが、昨日お洗濯していた子供たちの服をたたんで、かばんにつめている。
ムンフボルトのかばんは、なんと黒いランドセルだ! 日本の知り合いがお土産にくれたものだとか。
ふたをあけたところ、住所や名前を書くスペースに、ダワニャム夫妻の写真が入っていた。
長い寮生活を余儀なくされるモンゴル遊牧民の子供たち。小さいうちから親元を離れる子供がさみしくならないように、と両親の写真を入れているのだとバイルマーお母さんがにっこり笑いながら教えてくれた。
朝の日課が終わった後、ダワニャムお父さんがゲルの戸締り準備を始めた。裏の冷蔵庫兼物入れには南京錠をかけ、ゲルの中の生活用品もしっかり棚にしまって戸をしめた。いつもなら一日、暖かく火の入っているゲルの中心・ストーブの火も、今朝は早々に火をおとしてあるので、いつもよりひんやりしている。
私たちの車に一緒に乗り、途中のエルデネソムにある学校へ送っていくのだが、当然、ダワニャムお父さんとバイルマーお母さんも一緒に行くという。
当初の話では、子供たち3人だけ乗せていくと聞いていたので、私たちだけでなくバヤサもびっくり。
でも、ちょっと待てよ、ランドクルーザーって何人乗りだっけ!?
運転手さんでしょ、私たち家族が3人とバヤサ、これで5人。ゆったりとはいえ、これで定員ではないかしら?
さらにダワニャム姉弟3人、そして、なんとご両親で送っていくというので、えーっと・・・10人!?
の、乗れるんだろうか・・・。日本では間違いなく、定員オーバーで違反キップを切られてしまう。
昨日のエルデネソムからのお客様たちの帰る姿が蘇る。
さすが、モンゴル! なかなかない経験ができるのがたまらない。
梱包を終えた荷物をゲルの外に出した。バヤサは、買出しした食料品の使った、使わないのチェックが大変そうだった。水以外の消費量が予想以上に少なかったらしく、帰りの荷物が減っていないようだ。
大丈夫かなぁ、とバヤサは心配そうな表情だ。
乗るスペースの心配もなのだが、それにしても、車が来ない。
約束の10時を回ったところで、ダワニャム家のみんなも、私たちも、外に出て待っていたのだが、曲がりくねった草原のわだちの遠く遠くを見渡しても、青いランドクルーザーの姿は見えなかった。
とうとう、お昼ごはんの時間になってしまった。
ダワニャム一家は、残り物で簡単なお昼をとることにしたようだ。家畜も全部柵の中に入れてしまったのでやることもなく、ちょっとひんやりしたゲルの中でうろうろ手持ちぶさたになってしまう。
バヤサが心配して、お昼を先にとりましょうか、という。でも、私たちも今朝はちょっと遅めの朝食だったのでまだあんまりおなかは空いていなかった。それに、これからあのグラグラ揺れる車に乗ってウランバートルまで行くのだ。おなかいっぱいにしすぎては、車酔いしてしまう。
私たち3人はまだ大丈夫だから、もしバヤサがおなか空いていたら、おかまいなく食べてね、というが、バヤサも遠慮してか何も食べずに待っていた。
考えてみれば、滞在中は食事の支度をはじめ、何かとバタバタ過ぎていって、ゆっくりできなかったから最後にお別れをしてこよう、と思い立ち、子供たちと家畜小屋へ行った。
牝ウシのボルタ、牝ヤギのチェチカ、チェチカの仔・オーガナと、昨日生まれた黒いチビヤギちゃんたち。
大変お世話になった茶馬・ホンゴルと、白馬・ハリオン。
それと、ほかの個体識別できなかったたくさんのウシさん、ヤギさんたちよ。
いつの間にか、ダワニャム姉弟と同じように柵を乗り越えられるようになっていたゴウとアカネ。
到着した日は、びっくりして目を丸くしていたっけ。
柵の上を平均台のように歩くことまでできるようになっていた。このまま、置いて帰ったら、あっという間に日本語や日本の暮らしなんか忘れてしまうだろうな。
子供の順応性にはおよばないけれども、私もすっかりこの暮らしを楽しむ余裕が出てきたところだったので、正直、これで帰るというのは、かなり残念だった。あと数日でも、ここに居られたらなぁ。
やっとペースにのってきたとこなんだけど。
モンゴル語、ちゃんと勉強してくるんだったなぁ~。みんなともっといろいろな話をしたかったよー。
迎えの車はまだ来ない。暇をもてあましていてもしょうがない。私と子供たちは、ゲルの周辺でアルゥンチムたちと遊ぶことにした。
せっかくだから、日本の遊びも紹介しておこうと、ゴウとアカネは「だるまさんがころんだ」をみんなでやったらどうか、と言い出した。さっそくバヤサを呼んできて、通訳してもらい、ルールを説明することにした。
「だ~る~ま~さ~ん~が、こ~ろ~ん~だ!」
ダダダダダーッと皆が一斉に走ってくる。
わー、もう鬼までたどり着いて、切ってる子がいるー。
ちょっと、タンマ、タンマ。
やってみると、意外にもこの遊び、「言葉」を必要とするのだ。
本来なら、最後の「だ」のところで、動きが止まるはずなのだが、誰も止まらない。
そのまま、全速力で走ってきて、鬼のところにタッチしてしまう。
何度、「○○、動いた!」と言っても、わからないようなのだ(中には、理解してくれたのにもかかわらず、何度もふざけてやる子もいたけど)。バヤサも何度も説明してくれるが、ダメだった。
次の鬼を決めるために、「何歩?」と聞いて、鬼がその歩数分歩いていくのだが、それも、数えるのがモンゴル語と日本語では、どうもうまくいかない。ズルも多い。どうしても、小さい子狙いで、決まった子がタッチされてしまうのだ。
ゴウとアカネは、それでも諦められず、あれやこれや、あの手この手で、ルールを理解してもらおうとしているが、どうやら、かなり難しいかも。だんだん、イライラしてきているのが分かる。
日蒙双方をなだめ、私が鬼の子とずっと一緒に動いてあげるようにしてみた。
まずは、「だるまさんがころんだ」を言うのが大変そうなので、背を向けて目を伏せ、顔を上げたときに大きな声で、「ストップ!」とだけ言って、振り返るようにした。
鬼と、最初につかまった子の間を「切る」というルールも、伝わらなくて困った。鬼になった子は、切らせまいとしてムキになって手を離さず、それをまたムキになって切ろうとする子がいて、痛い痛いと騒ぎ、しばしばケンカになっていたのだ。
これはね、たどりつかれちゃったらしかたないんだよ、だれか着いたらさっと切るのがルールだよ、と何度も教えた。
じょじょに理解されてきて、面白くなったようだ。夢中になって「ストップ!」と声をかけては
はしゃいでいる。
やれやれ、たかが遊び。されど遊び。たったそれだけのことがなかなか伝わらないものだ。
言葉もわからずになじんでいるかと思えば、伝わらなくてもどかしい思いもしていて、それでも仲良くもするし、ケンカもしている。
残念ながら、ずいぶん昔に子供界を旅立ってしまった者には、摩訶不思議な異世界のように思えてならない。
ひと汗をかいて、皆、上着を一枚脱ぎ捨てたころ、草原のかなたにポツンとひとつ移動している青い点を見つけたアルゥンボルトが、指をさす。
迎えのランドクルーザーだ。ほっとしたような、さみしいような。そう、いよいよ、この草原を離れるときがきたのだ。
道なき道をえんやこらやってきてくれた運転手さんが、淹れ置きのスーテーツァイと、揚げ菓子をつまみながら一息ついている時間、私と子供たちは、日本から持ってきたキャンディの袋を手に、おとなりのオラカのゲルを訪ね、お別れの挨拶をした。
オラカとは長い時間一緒に過ごしていたので、なんだかとってもさみしい。
オラカのお父さんやお母さん、それと他に何人かいる家族ひとりひとりに握手し、
「バイルタェ(さようなら)」
とだけ言った。
彼らも差し出した手を握り締めながら何か話してくれるのに、わからないのがくやしい。
ゴウとアカネがキャンディを差し出す。男の人には、日本のタバコを渡した。みんな、嬉しそうに受け取って、
肩を抱き寄せてくれた。
運転手さんと一緒に、荷物を積み込んだ。ダワニャム姉弟の学用品も入れると、バゲッジスペースはあふれんばかりになってしまった。私がアカネを膝に乗せて座り、後ろの席にダワニャム夫妻、バヤサ、ゴウ、アルゥンチムがぎゅうぎゅうになって座る。運転席とのすき間に、アルゥンボルトとムンフボルトがなんとか入る。
もう、人も荷物みたいな感じだ。座るというより、詰め込まれている。
私も、足元に積みきれなかった荷物を置いているので、もう身動きがとれない。
ブルルルルル・・・
エンジンが音を立てた。いよいよ、このゲルともお別れだ。
ランドクルーザーは、さすが、というべきか、10人乗ってもとりあえず動いた。すごい。
昨日のジープみたいに、誰かが押してくれなくちゃ、始動しないんじゃないかというくらいの重量なのに、ゴロゴロとなだらかな道を下りはじめた。
オラカの家族が、みな、ゲルの外に出て、手を振り、見送ってくれていた。
ぎゅうぎゅうの車内から、かろうじて窓を開け、手を振る。さよなら、さよなら、みんな! バイルタェ!
またいつか、この草原で会おうね!
ランドクルーザーは、大人5人、子供5人を乗せて、大きくうねりながら進んでいく。
ダワニャム一家が降りるエルデネソムまでは、約30キロ、2時間弱くらいだろうか、という。
それにしても、揺れる。あまり車に酔わない私でも、かなりきつい。子供たちは、出発直前に酔い止めの錠剤を飲ませてきた。でも、そんなどころではない揺れが続く。
眠ってしまえればいいのだけれど、そうもいかないほどに、ぐらぐら揺れるし、きゅうくつなのだ。
アルゥンボルトがお菓子をすすめてくれたり、話しかけてくれたりしたおかげで、ゴウも気をまぎらしていたのだが、しばらくうちに吐き気がひどく、限界状態となり、どうにもならなくなって、車を止めてもらった。
顔が真っ青だ。車を降りて戻したが、これで少しは楽になったのだろうか。
走行中だと手を貸せないので、助手席にゴウを連れてきた。私の右膝にゴウ、左膝にアカネを乗せて、車は再び、エルデネソム目指して走り出した。
とにかく、ゴウの頭が運転席のほうに、アカネの頭が窓ガラスのほうにつっこまないようにささえているだけでも、ひと苦労だ。そのうちに、二人とも寝ついた。後ろでも、ようやく座席に座ることのできた男の子たちがうとうととしていたようだ。
運転手さんの技術には感心した。丘というより、ほとんど崖というような急勾配を、うまいこと降りていく。
丘が続くようになったころ、わきに電線が見え始めた。電線が見えてくると、もしかして、そろそろ道らしきものも現れてくるかな、と期待できる。
とある丘の頂上には、小さく引き裂かれた布をぐるぐると棒に巻きつけて、それが腰ほどの高さまで組み上げられた石の山に、さすようにたててあるものがある。オボーだ。
布の色は、鮮やかなモンゴリアン・ブルー。強風になびいて、バタバタと音を立てている。
モンゴルに行ったら、絶対見たい!と思っていたもののひとつだった。
眠ってしまった子供たちを抱えているので、止めてもらって写真を撮れないのが残念だ。
オボーの立つ丘は、頂上から降りるのになかなか勇気がいるような、ひときわ急勾配だった。
ここ下ると、まもなく電線が続く先に、エルデネソムの村を囲う木の柵が見えてきた。
村の端のゲルが見えたかと思うと、車はどんどん、村の中心部に入っていくようだった。
ゲルの煙突からは、煙が上がっている。
土ぼこりをあげて走っていたランドクルーザーは、ほどなくして停車した。到着だ。

バイルマーお母さん
皆にテキパキと指示を出しながら、家事・雑事をこなす手際のよさは、感心するばかり。肝っ玉かあちゃんかと思いきや、マニュキュアをこまめに塗り直し、小さなおしゃれを楽しむカワイイひとでした。

ムンフボルト(ムンフーシェ)
バイルマーお母さんそっくりのお顔、甘えん坊で、超照れ屋な次男坊。私のカメラに興味津々。でも、アニキが貸して、と言うまでは、なかなか私に言い出せなかったみたいデス。算数が得意な彼は、私たちが訪ねた2ヵ月後にウランバートルで行われる算数の大会に、地区を代表して参加することになっていました。すごい!

アルゥンボルト(ボルト)
ダワニャム家の頼れるアニキ。わずか11歳にしてすっかりお父さんの片腕! いろいろな仕事を任されていて、ホント、尊敬してしまうほど大人な少年でした。・・・かと思うと、いたずら・おふざけ大好き、人懐っこくて、すっごくおちゃめなんです。またそのギャップが魅力的。ゴウの大の仲良しで、2人が一緒にいるときは、何か悪いコトをたくらんでいたものです。

分かれは突然に

子供たちを起こしたが、目を覚ましてくれない。これでダワニャム家のみんなとお別れなのに。
ここでさようならなんだよ、起きて起きて、と何度も揺すった。
ようやくむくりと起き上がったゴウとアカネに、寝起きだから冷えないようにと、荷物からベンチコートを出して着せ、車の外に出た。
先に降りて、子供たちの荷物を下ろしていたダワニャムお父さんが、ここで私たちとはお別れだ、と言った。
よかったら子供たちが通っている学校を見たいので連れて行ってもらえないだろうかと言ってみたのだが、 今日から新学期が始まった学校は、午前中のみで授業は終わってしまっているので、今の時間は誰もいないという。
アルゥンチムたちも、今日はこのまま登校はしないというので、モンゴルの学校というのは、残念ながら 見る機会をもつことができなかった。
できれば、学寮だけでも見てみたいと思ったが、バヤサにもうまく伝わらなくて、それ以上の交渉をできず、諦めざるを得なかった。
もしかしたら、今夜はダワニャム家の親戚か知り合いの家にでも家族全員で泊まって、入寮や登校は明日からにするのかもしれないな、と思った。
ダワニャムお父さんがしっかりと握手をしてくれた。
バイルマーお母さんと握手すると、どちらからともなくぎゅうっと抱き合った。バイルマーお母さんのよそゆきのデールは、ヤギのにおいがした。
別れの実感が一気に押し寄せてきて、涙がじわりとにじんできてしまい、バイルマーお母さんがデールの袖で目頭を押さえてくれた。
アルゥンチム、アルゥンボルト、ムンフボルトとも、それぞれ握手を交わし、肩を抱いて、背中をポンポンした。
元気でね、勉強がんばってね、と声をかけると、3人とも照れくさそうに笑った。
そうだ、お別れに写真を撮ろう。
3人の中でもいちばんの照れ屋ムンフボルトだけは、どうにも気がすすまないというふうだったので、どうしようかと思ったのだけれど、せっかくなので子供5人勢ぞろいしてもらって最後の記念写真を撮ると、ダワニャム一家は、大きな荷物を抱えて、柵の中へ行ってしまった。
4日間を過ごした家族とのお別れは、あまりにも突然に訪れた。

ダワニャムお父さん。精悍なお顔立ちのダワニャムお父さんは、厳しいモンゴルの自然の中で、家族をまとめ、一家を背負って立っているという感じでした。穏やかな性格なのに、なんともいえない威厳がありましたが、そこはやっぱり、ボルトのお父さん!実はなかなかおちゃめさんなんですよネ。オセロ勝負はかなり真剣なマナザシでした。

しっかりものの長女・アルカ。バイルマーお母さんを助けて、1日中、ゲルの中と外とを忙しく行き来している姿は、まるで小さなお母さん! でもね、長い髪をバイルマーお母さんに梳いてもらっているときだけは、まだ甘えたい13歳の女のコの表情でしたよ。アカネのことを、すご~く可愛がってくれました。もしかしたら妹が欲しかったのかもしれませんね。

山と谷。日本語の「谷」という印象とはかなり違いますよね。山じたいがとてもゆるやかな稜線を描いています。(でも登るとキツい!)

道沿いに電車の線路が見えます。貨物列車の通過を何度か見ることができました。ポツンと牛が写っているのがモンゴルならでは!?

ハイウェイ沿いのゲル集落。ポツン、ポツンと点在しています。こうして、電線があるところへくると、町が近いんだなぁと思ったものです。ウランバートルから車で40分くらいのあたりですね。

ハイウェイを行く

私たちは、ウランバートルをめざしてさらにドライブだ。ようやくゆったり座れてほっとしたような、さみしいような気がする。
子供たちは、すっかり目が覚めたようだった。
エルデネソムの村内を進むと、学校が見えてきた。クリーム色の大きな建物だった。放課後なのか、校庭のようなところでは、アルゥンチムたちよりだいぶん大きな子供たちが、何人かでボール遊びをしていた。
学校の敷地内に寮があるそうで、昨日戻ったオラカのお姉ちゃんもたぶんもうそこにいるだろう、とバヤサが言っていた。
ダワニャム姉弟は、私たちの旅程にあわせてエルデネソムへ戻ったので、明日、一日遅い新学期を迎えるのだ。
学校、村役場を過ぎると、もう村のはずれになってしまった。規則正しく続く電柱に沿って、半舗装の道が続いている。
の端に、モンゴル国旗と日の丸のついた石碑を発見して驚く子供たち。この道は、日本が協力して作り上げたものなのだそうだ。
草原を走っていたときに比べて、車のスピードはかなり上がっていた。まもなく、行きに通ってきた道に合流するポイントを通過した。
列車が走る線路が見える。線路沿いに道は続く。もうずっと、休憩なしで走っている。運転手さん、大丈夫だろうか。朝、ウランバートルを出て、また引き返しているのだから、本当に大変だと思う。
子供たちがキャンディーの袋を出して、運転席と助手席の間から、運転手さんとバヤサにすすめる。
喜んでうけとってくれた運転手さんは、豪快に歯で包みをあけて、おいしそうに食べていた。
包み紙はというと、窓からポイ。
ひらひらとほこりっぽい風に飛んでいく、小さなビニールの包み紙。
私たちの社会は、もはや土に還るものばかりではない暮らしになったのだから、これではまずくないんだろうか、とちょっと心配になってしまう。
けれども、これは一介の旅行者にすぎない私たちが、この国の暮らしにどれだけ口をはさんでよいものかと、悩むところである。
少なくとも、子供たちはかなり驚きをみせていた。
そりゃそうだ。家でも学校でも、そんなことをしたら、雷が落ちるのは必須。
ディズニーリゾートなんかだったら、それこそ、捨てた瞬間にお掃除担当のキャストがさりげなくやってきて、ささっと片付けてしまうだろう。
ふだん、ゴミに対する考え方はそんなものだと思っているのだから、ギャップはすごいと思う。
これを文化の違いと考えて何も言わず、自分たちも郷に入るべきなのか。 それとも、「エコロジー」を説くべきなのか。
ダワニャム家のゲルでも、それはとっても悩んでいたことだった。
まぁ、そんなコムズカシイことをいつもいつも考えていたわけではないんだけれども。
「ナーライホーの町です」
街道沿いにある町をさして、バヤサが教えてくれた。
日本の大相撲で活躍している力士・旭天鵬(きょくてんほう)の出身地だそうだ。なかなか大きな町である。
ウランバートルからもわりと近い。
そのせいか、普段はウランバートルで暮らしている人たちが、仕事がお休みのとき訪れるセカンドハウスとしてのゲルが多くあるあたりなのだとも言っていた。やはりモンゴル人のルーツは草原の暮らしにあるのかもしれない。
ナーライホーの町を過ぎると、高速道路の料金所のようなものが見えた。有料道路だったのか、ここで通行料金を払って通り過ぎる。
柵に囲まれたゲルとゲルとの距離が、だんだん近くなり、道の両側にずらりと並ぶようになった。
バヤサが
「もうここは、ウランバートルの外れですよ」
と言った。
まもなく大きな建物が増え始め、私たちは、建築中の重機と、ビルと、ゲルとが立ち並び、人と車とが忙しく往復する都会・ウランバートルの中心部に戻ってきたのだった。 

到着の夜と同じ、パレスホテルで出発まで休憩。前回と反対、山側の部屋でした。まだ薄明るいですが、実は21時くらいです。

さすがに、すぐ「夜景」になってしまいました。すぐ隣の団地に小さい公園があって、バスケットゴールがあり、遊んでいる高校生くらいの子供たちがいました。

シャワールーム。アメニティも揃っています。数日ぶりにシャワーを浴びて、さっぱり。シャンプーして流したとき、水が泥とほこりで茶色い水になってました。

シャワーを浴びたら、急にまったり。もう22時30分を回ってます。ボ~ッとテレビを見る2人。

またね

ウランバートルの夜景がどんどん遠ざかり、まっ暗な中に、ボヤント・オハー国際空港の明かりが見え始めた。
スロープを上がって車を止めると、そこはもう、空港のロビーだった。
別の車で来てくれたバヤサさんと、昼間食事を一緒にした女性が先にたって歩き、出国の手続きをするカウンターを教えてくれた。
ここで、出国税を払う。
空港は、深夜だというのに、人でごったがえしていた。バヤサさんがいうには、モンゴルで人気のお笑い芸人が韓国だかどこだかから帰国するので、迎えのヤジウマじゃないかとのことだ。
モンゴル人のお笑いかぁ~、ちょっと見てみたい気もする。
しかし、残念ながら、もうまもなく、中に入らなくてはならない。
来たときと同じように、人・人・人のロビーで、私たちはみんなそろっての記念写真を撮り、再会を約束して、ひとりひとりと握手を交わし・・・
それから、チケットを持って、手を振り、ガラス張りの向こう側、出発ロビーへと入っていったのである。

相撲部入部!周囲を驚かせました

小柄で、4年生部員中最軽量ながら、がんばりました!「ボルトは小柄でも、もっとずっと強かったよ」

役に立つお手伝いをしてくれるようになったアカネ。

あとがき

帰国して3ヶ月たった7月はじめ、ある日のこと。
テレビを見ていた子供たちが、同時に
「あ!?」
と、小さく声を上げた。
台所で夕ごはんの支度をしていた私は、手を止めて、どうしたのかと聞きにいく。
「ママ、今のCMのコ、アルカに似てなかった!?」
「似てたよね!? ね?」
しばらくして、偶然また同じCMが流れた。有名な学習塾の無料体験教室を案内するCMだった。
真剣にエンピツを走らせてプリントに取り組む女の子。
たしかにダワニャム家の長女・アルゥンチム(アルカ)にそっくりだ。
「アルカ、元気かなぁ~」
アカネがつぶやいた。
「オーガナの頭に、小さいコリコリがあったよね。あれ、もう角になったかな」
ゴウが思い出したように言った。
「みんな、どうしているかなぁ・・・」
私にカミナリを落とされないように、また宿題をはじめたふたりは、時々、エンピツの動きを止めて、そんな話をしている。
台所に戻った私は、「まったく、もぅ! 集中してやりなさい!」と言おうと思って、やめた。
彼らの中で、モンゴルは、そう遠いところではない。そう遠くないけど、日常でもないことはわかっている。
「みんな、覚えていてくれるかな」
「また、会いに行きたいな」
・・・そうだね。 また、会いに行こう。ぜったい。
ね? 

サッカーはするのも観るのも大好き。今年はワールドカップ、楽しみです!

お兄ちゃんの影響ではじめたサッカー。

キャンプ仲間が集まって、年末恒例餅つき。この日ばかりは夜中まで起きていてもお咎めナシ。

スキーなどで雪を見ることはめずらしくないけれど、おうちの周りが雪景色って、新鮮!親のほうが張り切っちゃって、家族4人、10時間奮闘して作ったかまくらです。

未来の旅人へ

私は、旅というものは、何がしかの発見と経験のできるものであって欲しいと思っています。けれども、その結果はすぐに出るものでなくてよい、とも思っています。
子供たちの成長とともに、自覚のない状態で、じわじわと沁みていけばいいな、と。
とはいえ、モンゴルという国、遊牧民の暮らしという、今まで知りえなかった世界での体験は、少なからず彼らの考えに変化をもたらしているようにも思えます。
帰国後すぐ新学期を迎え、あわただしく日常に戻っていった私たちですが、モンゴルでのとっくみあいの日々を懐かしんでか、今まではまわし姿を嫌がり、誘いには見向きもしなかった相撲部に入ったゴウ。小兵ながら、腰の据わった相撲は評価高かったです。
ボルトやムンフーシェは、年のわりにかなり小柄でしたが、力はすごく強かったというので、ゴウの草原での戦歴は残念なものだったのかもしれません。
「今度行ったら、ぜったい勝ちたい!」と、眠い目をこすりこすり朝練に出かける後ろ姿を見送りながら、そんなことを思っていたものです。
「やりたいお手伝い」をやりたがって、かえって迷惑になっていたのに、即戦力として自分にできることを、いやな顔せずしてくれるように なったアカネ。
バイルマーお母さんの傍らでさっ、さっと手を出していたアルカの姿に、何かを感じたのかもしれないと思っています。
友達になった、というにはあまりに短かかったダワニャム家と過ごした日々。
でも、私たちの中に、確実に何かを残した5日間でした。
またいつか、あの草原で再会できる日を心待ちにしながら、毎日を暮らしていこうと思います。

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